(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
大正14年(1925) 12月21日 《佐藤信淵家学全集》刊行開始―全3巻。編者:滝本誠一(慶応大学教授)。校訂:川上多助・羽仁五郎。(1927.5.23完結)。 岩波書店
昭和3年(1928) 2月5日 岩波講座《世界思潮》刊行開始―全12巻。編集:三木清・羽仁五郎・林達夫。当時雑誌には〈講座〉という名のものがあり、また、その内容を表示して××講座と称した叢書もあったが、この講座のように、発行所名をつけたものは他になかった。岩波書店は、その後なお多くの講座を計画発行したが、この《世界思潮》を第1次として、それ以後の講座は、岩波講座第2次《物理学及び化学》、岩波講座第3次《生物学》...と呼ぶことになった。今日一般におこなわれている〈講座〉という出版の形式、すなわち多数の執筆者の協力を組織して体系的に問題を整理し、分冊出版するという形式も、この講座によって定式化された。(1929.4.30完結)。 岩波書店
10月1日 三木清・羽仁五郎により《新興科学の旗のもとに》(新興科学社)創刊(1929.12.廃刊)。 出版界
昭和7年(1932) 5月 橘孝三郎《日本愛国革新本義》(建設社刊)、羽仁五郎《歴史学批判叙説》(鉄塔書院刊)発禁。 出版界
11月16日 《日本資本主義発達史講座》第4回配本発禁―この講座は1論文ごとに分冊し、数分冊をまとめて函に入れて配本した。第4回には下記6論文が収められてあったが、検閲当局は分冊の1冊1冊を独立に扱ってそれぞれ発禁とした。//羽仁五郎〈幕末に於ける社会経済状態階級関係及び階級闘争〉後篇//羽仁五郎〈幕末に於ける政治的支配形態〉//田中康夫〈政党及び憲政史〉//山下徳治〈教化史〉//小倉金之助・岡邦雄〈自然科学史〉//細川嘉六〈日本社会主義文献解説〉 岩波書店
昭和8年(1933) 8月31日 《日本資本主義発達史講座》第7回配本(8月26日発行)のうち、羽仁五郎〈幕末に於ける思想的動向〉削除処分。 岩波書店
昭和18年(1943) 7月6日 大思想文庫、羽仁五郎著《マキャヴェリ君主論》、山田勝次郎著《マルクス資本論》を断截。 岩波書店
昭和22年(1947) 4月10日 《野呂栄太郎全集》刊行開始―編纂:野坂参三・風早八十二・羽仁五郎・川田寿・守屋典郎・豊田四郎・宇佐美誠次郎・塩沢富美子。全4巻の予定のところ第1巻のみで中絶。第2巻以下は、占領軍当局の検閲によりほとんど全面的に削除されて、事実上継続不可能となった。 岩波書店
- 前年より連合軍最高司令部民事検事局命令にもとづき事前検閲を受けた際一部削除された書目には下記のようなものがある//滝沢敬一《フランス通信》、山田勝次郎《米と繭の経済構造》、羽仁五郎《明治維新》、天野貞祐《道理の感覚》、野呂栄太郎《日本資本主義発達史》、斎藤茂吉《つゆじも》、田中耕太郎《教育と権威》、岩波茂雄〈岩波新書刊行の辞〉〈岩波全書刊行の辞〉、福沢諭吉《福翁自伝》、野村吉三郎《米国に使して》、プライス《近代民主政治》、アンデルセン《お話と物語集》、徳冨健次郎《みみずのたはこと》、内村鑑三《後世への最大遺物》、尾崎咢堂《回顧漫録》、小宮豊隆《夏目漱石》、安倍能成《自然・人間・書物》、ベーベル《婦人論》、内田清之助《渡り鳥》、大塚弥之助《山はどうして出来たか》、小倉金之助《日本数学史》ほか数点。 岩波書店
昭和28年(1953) 9月21日 《日本資本主義講座》刊行開始―全10巻、別巻1。副題:戦後日本の政治と経済。監修者:(代表)大河内一男・小椋広勝・近藤康男・清水幾太郎・末川博・羽仁五郎。編集者:(代表)戒能通孝・島恭彦・遠山茂樹・井上清・井上晴丸・宇佐美誠次郎。さきに1932年《日本資本主義発達史講座》が刊行されてまもなく日本は準戦時体制に入り、つづいて太平洋戦争に突入し、日本の資本主義に関する科学的研究―特にマルクス主義の方法による研究―は全く発表の自由をもたず敗戦に至ったが、戦後8年、前記の講座から数えて21年を経過し、その間に経済史・政治史・国史等の各分野において、日本資本主義に関する多くの研究成果が蓄積されて、研究の進歩はもはや前記講座の頃と同日に論ずることができなくなっていた。また、敗戦による打撃と戦後の諸改革を経たのち、この当時著しい復興の途上にあった日本の資本主義自身にも、新たな研究を必要とする問題が簇生しており、中でも対米従属の問題はとくに鋭く問題とされていた。日本の資本主義を総合的に再検討することは、当時学問的にも必要とされ、労働運動や政治運動の立場からも緊急の必要となっていた。たまたま、本講座の編集者となった社会科学者の間で、《日本資本主義発達史講座》を新たに編纂し書直そうという計画が熟し、幕末・維新から戦後までを含む厖大な計画が立案され、岩波書店へその出版について申し込みがあった。岩波書店編集部は、この計画のうち未開拓の戦後の時期についてまず着手することを提案し、この提案が入れられて、〈戦後日本の政治と経済〉という副題をもつ本講座が成立することになった。執筆者には、最初、〈講座派〉〈労農派〉の対立を超えて、広く多方面からの参加を求める予定であったが、これは種々の事情から実現せず、旧講座派の流れを汲む学者が多数となった。しかし、講座派以外の学者も相当数協力、総勢では約200人の集団労作となった。発行と共に大きな売行きを示し、講座形式の出版としては群を抜いた成績であった。(1955.2.15完結)。 岩波書店
昭和41年(1966) 10月17日 《三木清全集》刊行開始―全19巻。編集:大内兵衛・東畑精一・羽仁五郎・桝田啓三郎・久野収。1946年9月刊行の《三木清著作集》全16巻には、当時の占領軍の命令、その他の事情によって収録を見合わせた資料も多く、戦後の悪条件のため造本も十全とは言い難いものであった。今回の全集は、新発見のさまざまな評論・日記などを加えて全集とした。なお、刊行に先立ち、三木氏の命日9月26日には〈三木清を偲ぶ〉講演会を東京・京都で同時に開催し、東京では古在由重・羽仁五郎の両氏が、京都では松田道雄・阿部知二・久野収・吉野源三郎の諸氏が講演を行った。(1968.5.24完結)。 岩波書店
昭和58年(1983) 6月8日 羽仁五郎氏逝去。 岩波書店
昭和59年(1984) 7月6日 《三木清全集》再刊開始―全20巻。編集:大内兵衛・東畑精一・羽仁五郎・桝田啓三郎・久野収。《三木清全集》全19巻は1966年刊行されたが、その後18年を経て、新しい世代による三木清の思想再検討の気運に応えたものである。前回全集に新資料を増補した1巻を加えた。(1986.3.6完結)。 岩波書店
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