(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

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月日 事項 年表種別
昭和8年(1933) 10月1日 里見弴・川端康成らを編集同人とする《文学界》(文化公論社)、阿部知二・舟橋聖一らの後援による《行動》(紀伊国屋出版部)創刊、金原書店《臨牀の日本》、古今書院《地理学》創刊。 出版界
昭和25年(1950) 8月18日 阿部知二・北村喜八の両名、戦後はじめてペンクラブ世界大会に出席。 内外事情
昭和29年(1954) 1月16日 平和問題談話会主催・《世界》編集部後援により〈中国学術文化視察団帰国報告講演会〉開催―共立講堂において、司会:大内兵衛。講師:安倍能成・阿部知二・岸輝子・清水幾太郎・吉野源三郎。 岩波書店
昭和30年(1955) 5月25日 《時代の窓》刊行開始―現代叢書の後をうけ、現代―とくに第2次大戦後―の諸問題の考察に必要と思われる海外の著作を選択・紹介することを目的とする叢書。政治・経済・社会・文化の各領域にわたって、新鮮な著作をつぎつぎに刊行、とくに第1回刊行のスメドレー《偉大なる道》(阿部知二訳)は、1954年1月から11月にかけて、《世界》にその前半が連載されて大きな反響を呼んだもの。著者が親しく朱徳から聴いた回想と、中国における著者の貴重な体験とにもとづいて、朱徳将軍の少年時代から60歳に至るまでの生涯を描いた特異な伝記で、ロンドンで客死した著者の遺稿であった。当時マッカーシイズムの支配していたアメリカではもとより、イギリスにおいても出版者が得られず、終に遺稿が岩波書店に廻されて来た結果、《世界》に連載され、次いでこの叢書に収められる運びになったのである。後年アメリカでも出版されたが、以上の事情により、最初に公刊されたのはこの日本語版によってであった。中国革命の研究資料としても豊富な内容を備えているため多くの読者を得、長く増刷を重ねた。(1957年8月25日までに15冊刊行)。 岩波書店
昭和38年(1963) 3月 小冊子《激動の中で―岩波新書の25年》作製―新書判80頁、非売品。岩波新書発刊以来の25年間の歴史を述べ、諸家の批評と読書指導を巻頭に置いた。創刊以来、この叢書の成功に刺激されて幾種類かの〈新書版〉が現れ、またその後も、多くのペーパーバックスが氾濫しているが、その中にあって、岩波新書の特質を読者に理解してもらうため、激動の時代にこの叢書がどのような趣旨で発刊され、どのような歩みをつづけて今日に至ったかを述べたものである。内容:大内兵衛〈岩波新書の文化小論〉、松田道雄〈岩波新書と私〉、阿部知二〈真理と自由〉、〈岩波新書について―赤版時代・青版時代〉。(4.1発行)。岩波文化講演会の来会者、その他希望者に贈呈した。講演会は4月22日の福岡をはじめとして11月末までに全国26都市で開催。 岩波書店
昭和40年(1965) 6月12日 家永三郎、教科書検定を違憲とし国に対し賠償請求の民事訴訟を起す(1967.6.23行政訴訟を起す)。10月10日、遠山茂樹・宗像誠也・阿部知二ら、教科書検定訴訟を支援する全国連絡会結成。 内外事情
昭和41年(1966) 10月17日 《三木清全集》刊行開始―全19巻。編集:大内兵衛・東畑精一・羽仁五郎・桝田啓三郎・久野収。1946年9月刊行の《三木清著作集》全16巻には、当時の占領軍の命令、その他の事情によって収録を見合わせた資料も多く、戦後の悪条件のため造本も十全とは言い難いものであった。今回の全集は、新発見のさまざまな評論・日記などを加えて全集とした。なお、刊行に先立ち、三木氏の命日9月26日には〈三木清を偲ぶ〉講演会を東京・京都で同時に開催し、東京では古在由重・羽仁五郎の両氏が、京都では松田道雄・阿部知二・久野収・吉野源三郎の諸氏が講演を行った。(1968.5.24完結)。 岩波書店
昭和46年(1971) 5月5日 デ・ラ・メア作、阿部知二訳《旧約聖書物語》、第18回サンケイ児童出版文化賞受賞。 岩波書店
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