(株)岩波書店『岩波書店八十年』(1996.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
12月 美篶(みすず)書房創業(小尾俊人ら)。 出版界
12月 大竹博吉(ナウカ社)・佐和慶太郎(人民社)・藤岡淳吉(彰考書院)ら左翼系出版社が中心となって民主主義出版同志会を結成、出版界の粛清を提唱し、翌年に大旋風をまき起す。 出版界
- ・年間納本図書総数:普通出版物878 出版界
- ・3月末新聞雑誌数:1,574 出版界
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月1日 雑誌《世界》創刊号発行―日本には優れた知性が存在しながら、祖国が亡国の道へ進むことを阻止し得なかったということは、岩波が敗戦に関して最大の痛恨事と考えたことであって、今後再びこの過ちを犯さないためには、広汎な国民と文化との結びつきに努めねばならぬといい、岩波書店も在来のアカデミックな出版から、進んで大衆のための出版に進出する必要があると説いた。終戦直後総合雑誌の発刊を提案したのは、この理由からであった。たまたま安倍能成・志賀直哉氏等、30余人の指導的な学者・芸術家から成る〈同心会〉でも総合雑誌発刊の議が起り、岩波にその申入れがあった。その結果1945年9月末、両者協力の形で雑誌《世界》が創刊されることに決した。監修:安倍能成、編集主任:吉野源三郎。《世界》という名称は谷川徹三氏の提案による。正月号を創刊号として1945年12月中旬に発売され、部数は8万部であった。なお同心会と岩波との協力関係については、岩波は自己の創刊した雑誌の編集を同心会の代表たる親友の安倍氏に委託したものと諒解し、同心会の方々は同人雑誌の発行を岩波が引受けたものと諒解し、多少の喰い違いがあったが、安倍氏が幣原内閣の文部大臣となるに及んで、大内兵衛氏が編集指導を代行することになり、しだいに同心会との結合がゆるくなって、やがて同心会が別に同人雑誌《心》を発行するに至って《世界》との関係は自然に解消した。 岩波書店
1月1日 天皇神格否定宣言。 内外事情
1月4日 GHQ、軍国主義者の公職追放・右翼団体解散を指令。 内外事情
1月7日 戦後第1年の業務はじめ―例年通り岩波茂雄の年頭のあいさつがあり、新しい発足を誓う。このとき残留店員および戦争・徴用からの帰還者および新入店員を合せて出席者46人。 岩波書店
1月9日 中国で国共両軍共に停戦を命令、10日、中国政治協商会議、重慶で開会。 内外事情
1月10日 国際連合第1回総会開会。 内外事情
1月11日 勤務時間短縮、午後4時終業(1日実働6時間)となる―長野で発病後、余儀なく店務から遠ざかっていた岩波茂雄は、回章を出して店員の積極的な意見の具申を求めると共に、とくに戦争直後の物騒な世情に鑑みて婦人店員の身辺を案じ、終業時間を1時間くりあげて4時とした。 岩波書店
1月12日 民主主義科学者協会創立。 内外事情
1月15日 山川均、人民戦線を提唱。 内外事情
1月16日 岩波雄二郎入店。(現取締役会長)。 岩波書店
1月16日 社会党中執委、人民戦線結成は時期尚早と発表。 内外事情
1月16日 朝鮮独立問題に関する米ソ会談開会。6日、米ソ合同委員会成立。 内外事情
1月17日 GHQ、警官の拳銃携帯を許可。 内外事情
1月17日 日本労働組合総同盟結成、会長松岡駒吉。 内外事情
1月18日 地球出版創業(戸田節治郎)。 出版界
1月24日 日本出版協会、定時総会開催。戦争責任に関し出版界の自主的粛清を決議、出版界粛清委員会の設置を決定。 出版界
PAGE TOP