※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 小野隆太郎、グリュー印画法の研究を発表 | 業界事項 | |
- | 大日本セルロイドの佐間政介、フィルムベースの研究に着手 | 業界事項 | |
昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 与七、欧米視察へ、ニコラ・ペルシャイドと会見 | 当店事項 | |
- | 成田常吉(新橋江木支店技師長)死去(六十八歳) | 当店事項 | |
- | オリエンタル写真学校開校 | 業界事項 | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 江木写真店本建築完成 | 当店事項 | |
- | コダック・ジャパン・リミテッド銀座に開設 | 業界事項 | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 昭和写真工業(株)創立、資本金百万円、社長井上源之丞 | 業界事項 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 富士フィルム(株)創立、資本金三百万円、社長浅野修一 | 業界事項 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 「五竜会」結成 | 当店事項 | |
- | 三菱製紙(株)、写真原紙の一貫体制整備 | 業界事項 | |
- | 富士フィルム、35ミリフィルムの国産化に成功 | 業界事項 | |
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 与七、オリエンタル写真工業を退社 | 当店事項 | |
- | 大正写真工業(株)設立 | 業界事項 | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 写真化学工業(株)創立、社長塩原又策、与七、取締役に就任 | 当店事項 | |
- | 大井康雄、写真化学工業(株)草加工場に勤務 | 当店事項 | |
- | 清澄公園大正記念館でダゲール写真感謝祭 | 業界事項 | |
- | 東京歌舞伎座で「下岡蓮枝」上演 | 業界事項 | |
- | 写真化学工業(株)、東邦写真工業(株)を吸収 | 業界事項 | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | 写真化学工業(株)解散 | 当店事項 |