(株)京都ホテル『京都ホテル100年ものがたり : 一歩一歩に感謝をこめて : 創業100周年』(1988.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
- 神戸常盤花壇の経営者前田又吉が、川端二条(現ホテルフジタ)の地に「常盤ホテル」を開業(京都ホテルの始まり)。
- ●このころ、外国人の多くは円山「也阿弥楼」に投宿。前年の宿泊者総数765人。
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
10月4日 前田又吉、大阪へ赴き、日本土木会社に請負方を委ねる。
10月14日 初代内閣総理大臣伊藤博文伯の尽力により、前田又吉、「舎密局」(長州屋敷趾―河原町御池)の払い下げを受け、本格的洋風ホテルを建設。
- 旧勧業場跡の払い下げ問題起こる。川島甚兵衛らの申請相次ぐ。
明治23年(1890) - 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 渋沢関係略年譜
2月 常盤ホテルの工事、内部装飾に着手するなど進行(内部装飾は京都製にて用を足す)。琵琶湖疎水開通までに竣工すべく工事急ぐ。
4月2日 常盤ホテル構内南手に玉突場・揚弓場を新設のため準備中。
4月14日 洋風木造3階建の常盤ホテル(客室20室)が竣工、営業を開始。招待客は京都の実業家、京都・大阪の新聞社員等40名。
明治24年(1891) - 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 渋沢関係略年譜
2月26日 京都府北垣知事は、市長の資格で市会議員を常盤ホテルに招き晩餐を饗す。
4月10日 伊藤伯、来館。
4月19日 ロシア皇太子一行の旅館に常盤ホテルが決定。新築工事に力を入れる。長崎宮内大臣秘書官、三宮式部次長、富小路侍従ら、相次ぎホテルを検分。
5月2日 常盤ホテルの新築工事落成。
5月10日 ロシア皇太子ニコライ親王殿下、来館。
5月11日 ロシア皇太子ニコライ親王殿下、大津市内にて兇徒津田三蔵に襲われ負傷(大津事件)。
5月19日 大津事件が起きたことによって常盤ホテルの落成式は中止となる。
5月19日 常盤ホテル、他の旅館・ホテルにさきがけて馬車一輌備え置くため、東京へ注文する。
5月30日 明治天皇、ロシア皇太子ニコライ親王殿下を見舞うため常盤ホテルにご来館。
10月10日 伊藤伯、「常盤別荘」に来館。
10月14日 皇太后陛下、杉皇太后大夫、林皇太后宮亮他15名等に対し常盤ホテルにおいて洋食の晩餐を賜る。
- ●このころ、常盤ホテルでは、宮内大臣に建築費超過により資金の貸し下げを願い却下されている(経営不振のきざし)。
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