※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月16日 | 京都ホテル内の京都商工会議所仮事務所で役員会を開催。 | ||
8月1日 | 李王世子殿下、ご来館。 | ||
12月24日 | 京都在住の外国人70名を招待し、クリスマスパーティーを開く。 | ||
12月31日 | メキシコ特派大使デ ラ バラ氏、来館。 | ||
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月8日 | 第一次世界大戦勃発のため仏・英・独人ら次々と帰国(外国人観光客急速に減少)。 | ||
12月10日 | イギリス青島攻撃軍司令官バーナージョン少将、夫人とともに来館。 | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | シャム皇帝殿下、来館。 | ||
4月 | 春のシーズンにもかかわらず外国人観光客は減少(数年来の最低記録)。 | ||
4月 | 都ホテル、株式会社となる(社長片岡直温)。 | ||
8月 | 大正天皇即位大礼に参列する15ヵ国の特派大使の宿舎に指定され、館内の模様替え。 | ||
11月8日 | 大正天皇即位の礼に際し、国賓使節の宿舎として、全館宮内省の借り上げとなる。備品等新調し大典参列使節を迎える。 | ||
11月 | 大正天皇即位式。 | ||
- | ●このおりの改装費は、数千円に及ぶという。 | ||
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 李王世子殿下、来館。 | ||
4月 | 第一次世界大戦の影響続くが、外国人宿泊客増加のきざし(アメリカ人観光団を中心に)。 | ||
12月22日 | ロシア大使クルベンスキー夫妻、来館。 | ||
- | ●この頃、京都ホテルでは自動車による送迎を開始。 | ||
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月4日 | インドの聖詩タゴール、来館。 | ||
4月27日 | 汪特使、日支交通連絡祝賀会に出席のため、京都ホテルに来館。 | ||
4月 | アメリカ、第一次世界大戦に参戦。京都の外国人観光に打撃。 |