※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月20日 | スペイン内閣書記官パブローハール氏入洛、来館。 | ||
1月 | 円山也阿弥楼が正阿弥楼を買い入れ、拡張に乗り出す。 | ||
2月4日 | 九鬼副総裁、博覧関係の人々10数人に対し、常盤ホテルにおいて面接示諭する。 | ||
4月13日 | イタリアの法律博士パテルノストロ氏、令閨子息を伴い、来館。 | ||
9月1日 | 顧清国領事、来館。 | ||
9月8日 | ロシアの理学博士エ エス クケスノー氏、来館。 | ||
10月 | 経営不振表面化。名義を三井家に書き替えられる。 | ||
- | ●この夏、避暑のため投宿の外国人客177名、1位也阿弥楼、2位常盤ホテル。 | ||
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 前田又吉死去(64歳)。経営は娘ハナ、婿の常蔵に移る。 | ||
3月22日 | フランス公使官一等書記官コテン ド クランシス氏他1名、来館。 | ||
6月19日 | 千田京都府知事、市参事会員及び市会議員諸氏を常盤ホテルに招待し、晩餐会開く。 | ||
12月7日 | 北白川宮殿下、ご来館。 | ||
- | ●この年も、数多くの晩餐会などが行われ、高級ホテルの信用は落ちていない様子。 | ||
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 常盤ホテルの紛議が泥沼化。ホテル側からは、財産差し押さえたが休業は事実無根との広告がなされ、三井銀行は貸付金の合計を6万2000円であると公表。東京・横浜のホテル業者、地元貿易商ら、入り乱れての騒動。 | ||
4月 | 常盤ホテルの騒動続き、差し押さえをめぐり、三井銀行と訴訟合戦に及ぶ。(7月まで) | ||
8月 | 京都也阿弥ホテル経営者井上万吉氏の実弟井上喜太郎は、ホテル業の将来性を明察し、苦境にあった常盤ホテルを5万円で買いとり、名称を「京都ホテル」と改める。当初開業は11月とされるが、延期。 | ||
- | ●このころ、京都ホテルを株式会社にすべしとの議論が相次ぐ。 | ||
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 京都ホテルを株式組織にすることについて持主の井上兄弟は不同意。やがて沙汰止みとなる。 | ||
2月26日 | ロシア皇太子の宿泊室を永久保存することに決定。 | ||
2月26日 | 開業広告《3月6日より西洋料理開業仕候間此旨公告仕候収向》を出す。 |