※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 弁天合資会社設立(京都ホテル、也阿弥楼などが出資して貿易商、通詞、骨董商らタイアップ)。 | ||
4月25日 | 華頂宮博恭王殿下、ご来館。 | ||
4月27日 | 青木新任京都府書記官及び山田新任知事の送迎会が午後京都ホテルにて開かれる。 | ||
4月29日 | 山階宮菊磨王殿下、朝、御文宮御墓所を参拝後、ご来館。 | ||
4月29日 | ロシアのキリル親王殿下、来館。 | ||
10月24日 | イタリア皇姪チュラン殿下、随員を従えて来館。 | ||
12月27日 | 内海知事、京都ホテルに府庁高等官及び各課長を招いて、晩餐会を催す。 | ||
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | ベレスフォード卿、来館。 | ||
1月23日 | 同志社校友会の在京の同志社校友40余名、京都ホテルに会し同社員総辞職事件の善後策を協議する。 | ||
3月25日 | 円山公園の也阿弥楼火災。1棟を残して全焼したため、宿泊客を京都ホテルが受け入れる。 | ||
7月 | 也阿弥楼、ホテル建設地の借用年限延長願い、市は難色を示す。 | ||
9月 | 井上万吉、自らホテル建設許可出願。 | ||
10月7日 | 万吉のホテル建設出願不許可となる。 | ||
- | ●日出新聞ら、いっせいに也阿弥楼批判の論調。市参事会はあるべきホテルの内容を検討・提示。 | ||
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 臨時土木委員会調査報告。内貴市長、大沢臨時土木委員長ら市参議会員・市会議員等を京都ホテルに招いて報告。 | ||
3月 | 神戸の「オリエンタルホテル」が京都支店進出を決定。東山に用地を買収。 | ||
4月11日 | 京都ホテルに滞在中のフランス貴族アメデート ド クロクケリー氏、二条離宮を拝観。 | ||
4月24日 | オーストリア控訴院判事オットクラフ氏、世界漫遊の途上入洛し、来館。 | ||
6月7日 | 二大工事問題について内貴市長、平安茶話会に属する市会議員を京都ホテルに招いて道路下水問題について尋ねる。 | ||
8月14日 | 井上喜太郎、京都市に下水工事のための500円の寄付願い出、許可される。 |