※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月5日 | 英・米・フランス・オランダ4国連合艦隊、下関海峡で萩藩と交戦 | 一般事項 | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月15日 | リンカーン米大統領、狙撃され死去 | 一般事項 | |
元治2年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 「海外新聞」創刊(発行者ジョセフ・ヒコ=後の浜田彦蔵。外国新聞の翻訳、民間初の新聞) | マスコミ事項 | |
- | 英字紙「ジャパン・タイムズ」創刊(現在のジャパンタイムズの源流の一つ) | マスコミ事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月13日 | 睦仁親王(明治天皇)践祚(せんそ) | 一般事項 | |
11月9日 | 将軍徳川慶喜、大政奉還 | 一般事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 王政復古の大号令出る | 一般事項 | |
1月27日 | 戌辰戦争起こる | 一般事項 | |
1月 | 英字紙「コーベ・アンド・オーサカ・ヘラルド」神戸で創刊。週刊紙 | マスコミ事項 | |
3月16日 | 新政府、京都で機関紙「太政官日誌」創刊(77年1月22日まで1177号) | マスコミ事項 | |
3月17日 | 江戸で「中外新聞」創刊(柳河春三) | マスコミ事項 | |
4月6日 | 五箇条の誓文 | 一般事項 | |
4月 | 英字紙「ヒョーゴ・ニューズ」神戸で創刊。31年間続く | マスコミ事項 | |
5月11日 | フランスで新聞発行の自由を認めた新聞法施行 | マスコミ事項 | |
5月24日 | 江戸で「江湖新聞」創刊(福地源一郎) | マスコミ事項 | |
6月8日 | 鎮台府、新聞の無許可発行を禁止(18日新政府、出版物の無許可発行を禁止。20日出版書籍の原稿事前検閲制を定める) | マスコミ事項 | |
7月5日 | 中外新聞、上野彰義隊事件(5月15日)の戦況てん末を「別段中外新聞」で報道(号外の初め) | マスコミ事項 | |
9月3日 | 天皇、江戸を東京とする証書出す | 一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 「明治」と改元 | 一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月2日 | 政府、諸道の関門廃止 | 一般事項 |