※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月10日 | 第十二師団、第六師団対抗特別演習九州に於て開始せられ、本社からは国木田北斗が従軍した。 | ||
- | 【是年】広告料五号二十二字詰一行二十八銭に改正。発行人大隅邦三郎、編集人早雲善三郎。明石支局開設。 | ||
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 二十ページ。新聞定価一部売二銭に値上した。二面に「海」欄設置。記事中広告を特別広告として取扱を始めた。狩野守信筆浪に兎の絵附録を添えた。大阪通信部電話開設。 | ||
1月20日 | 改正列車時刻表特集一ページ。 | ||
2月11日 | 創刊五周年記念号十八ページ。 | ||
2月19日 | 小松宮彰仁親王甍去特集。 | ||
3月1日 | 第五回内国勧業博大阪に開会のため特集博覧会画報、博覧会の栞優待券など発行した。 | ||
3月3日 | 総選挙結果特集。 | ||
3月10日 | 囲碁欄設置、七段田村保寿、五段中根鳳次郎の対局掲載を始めた。 | ||
4月10日 | 観鑑式記念号十二ページ、別に全紙大絵附録発行。観艦式スケッチ「観檻式の壮観」を二面に「御召艦の通過」を十一面に掲げた。 | ||
4月11日 | 観鑑式スケッチ「昨夜観鑑式場における探海灯彩照」を一面に、「昨夜観鑑式における各艦のイルミネーション」を二面に掲げた。 | ||
4月20日 | 第五回内国勧業博開会式行はれ、社員を派遣取材に活動した。 | ||
6月17日 | 露清協商の内容を特報した。 | ||
6月 | 【是月】岩崎虔主幹を辞し、国木田北斗主幹となる。芳野駒彦営業部長となり東京方面の広告を開拓した。 | ||
7月30日 | 天気予報新設 | ||
8月15日 | 弔花斎藤謙蔵入社。はじめて漫画掲載。 | ||
8月21日 | 素人料理欄設置、材料を発表して読者より調理法募集。 | ||
8月24日 | 米作況視察のため加賀卯之吉を北陸、東海地方へ特派した。 | ||
8月27日 | 二千号記念読者文芸募集発表。社会面に「八面鋒」欄設置。 | ||
8月30日 | 編集人稲垣仙次郎となる。 |