(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和16年(1941) - 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 渋沢関係略年譜
12月31日 休職中の山沢春治郎、酒井正之助、石田明治、河野利雄、佐野栄一の五名退社。山本信太郎の学芸部嘱託を解いた。
- 【是年】全県下米穀増産奨励のため賞金五千七百円提供。従業員子弟奨学金制度、疾病傷害救護施設など福利事業を行った。
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
1月1日 八ページ。新創意の新基本活字採用。新年祝賀会を三階で開いた姫路支局を支社に昇格、初代支社長に嘱託前編集局長宮本卯一就任。
1月6日 夕刊論壇を「時局随想」に改題。大角力春場所取組懸賞予想募集。
1月12日 人事異動発令、唐沢正夫を企画局計画部長、吉井伊之助を地方部長とした
1月18日 日独伊軍事協定成立を速報した。
1月20日 繊維製品点数制を報じた。
2月1日 県下各地支局、通信部のほかに十五郡に亘り二十三名に通信事務を嘱託した。広告料にメートル制採用一糎一段五円九十銭八厘に改めた。
2月6日 本社主催必勝生活態勢座談会を神戸商工会議所で開いた。
2月11日 創刊四十四周年記念式を社内に挙げ十年勤続者七名を表彰した。金婚夫婦表彰式を湊川神社で行い三十七組を表彰した。
2月15日 シンガポール陥落を報じた。
2月18日 本社主催シンガポール陥落祝賀行進を行った。
2月20日 光田顕司を採用東京支局長とし、水谷信雄を東京支局通信部長とし、酒井謙吉は退社した。
2月24日 東京支局を支社とし事務所を電通ビルに移した。
2月25日 編集兼印刷発行人橋本政次となった。
4月1日 広告料一糎一段六円四十九銭九厘に値上。旅費規程改正実施。
4月10日 広告料一糎一段六円五十銭に改正。
4月18日 米機はじめて神戸を空襲、本社上を通過焼夷爆撃を行った。
4月26日 本社主催翼賛衆議院議員候補者立会演説会をYMCAで開いた
5月1日 衆議院議員選挙開票結果を速報した。
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