※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月16日 | 本社、県、市、産報共催第一回兵庫県産報体育大会を南甲子園など八ヶ所で開いた。(工場オリンピック併合) | ||
8月21日 | 篠原菊治ほか十一名を社屋増築委員とした。 | ||
8月27日 | 堺編集委員満洲派遣のため出発。 | ||
8月29日 | 本社、県経済保安共催経済道義昂揚運動座談会を相楽園で開く | ||
8月31日 | 新館増築委員会を開いた。 | ||
9月6日 | 本社主催家庭防空座談会を大丸で開いた。 | ||
9月18日 | 本社主催平出大佐講演会を阪急西宮球場で開いた。 | ||
9月20日 | 本社主催第四回兵庫県青年団角力大会を王子公園で開いた。 | ||
9月26日 | 物故社員慰霊祭を加納町東極楽寺で修めた。 | ||
9月30日 | 本社主催相生市章、市歌懸賞募集。 | ||
10月12日 | 月曜論壇「研究室から」を始めた。 | ||
10月22日 | 臨時株主総会を開き定款変更を可決した。 | ||
10月30日 | 取締役社長川崎芳熊、取締役牛尾健治、田村亨、監査役竹田龍太郎、植木義邦の五名、新聞統制令により辞任。 | ||
11月1日 | 日本新聞配給会発足。浅田善治を普及部長とし、日本新聞配給会兵庫県支部長就任のため退社。磯村信雄を普及部長とした。 | ||
11月2日 | 新聞定価本月分より一ヶ月一円十銭に値上。 | ||
11月5日 | 木下取締役会社代表となった。 | ||
11月14日 | 本社主催歳末厚生義金募集絵画即売展を大丸で開いた。 | ||
11月20日 | 福利施設委員会において大和寮寮則を定め寮を栄町七丁目二五に開設した。 | ||
11月22日 | ヤミ行為撃滅体験談募集。 | ||
11月27日 | 輪転機購入資金借入のため臨時資金調整法による申請許可。 |