(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
8月22日 本社主催第三回聖戦美術展を大丸で開いた。
9月1日 社員互助会と工場互助会を一体とし互助会規程を改正実施した。時間外勤務手当支給規程を実施した。
9月9日 伊太利単独無条件降伏を報じた。
9月12日 鳥取震災救援金品募集。
9月19日 本社主催第五回兵庫県青年団角力大会を王子公園で開いた。
9月25日 物故社員追悼法要を大谷派神戸別院で修めた。
10月1日 機構並に職制を改革し、編集局の委員制を廃して部課制に復し、経理局を廃して総務局を置き、業務局工務部独立して工務局を設け、別に新たに監査部を設け、同時に人事異動を行い、富久敬之を監査部長兼務とし、松末盛計を大阪支社長、吉井伊之助を整理部長、久保田喜一を取材部長とした。従業員規程中職務手当を改正実施した。
10月7日 木曜日付朝刊も二ページとなる(週二回)
10月28日 企画委員会、紙面製作研究委員会を設け、何れも原田棟一郎を委員長とした。
11月2日 新聞定価本月分より一ヶ月一円二十五戦に値上。
11月3日 新館上棟式。
12月1日 河本正義の社史編纂委員主査を免じ、本城為圭を同主査とした
12月8日 大詔捧読の上新聞訓を朗唱した。
12月22日 第二十五回定時株主総会、昭和十八年下半期決算(年五分配当)可決。原田、田中、藤本三取締役、富久監査役何れも重任、原田社長会社代表となった。
12月25日 台湾新竹空襲を報じた。タラワ、マキン島陥落を報じた。
- 【是期】昭南新聞に二万円を出資した。
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月1日 朝刊四ページ。原田社長以下一同湊川神社に参拝、帰社後拝賀式を行い、三階で祝宴を開いた。橋本政次を姫路支社長心得より支社長とし、湊辺和吉を同支社通信部長とした。
2月10日 創刊四十六周年記念式を社内で挙げ永年勤続三十年一名、二十年五名、十年六名を表彰した。舟橋聖一作小説「時の窓」朝刊に連載開始。
2月26日 大本営発表マーシャル群島クェゼリン、ルオット両島守備隊六千五百名全員戦死を報じた。
2月29日 在神知名の士をオリエンタルホテルに招き「神戸新聞の行き方を聞く会」を開いた。
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