(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
3月5日 用紙統制強化のため六日附夕刊より全国一斉夕刊廃止実施、新聞定価朝刊のみで一ヶ月一円二十五銭(旧朝夕刊料金のまま据置)
3月8日 大詔奉載式後原田社長から夕刊廃止に次いで更に重大段階に進み朝刊半ペラ時代の来るべきを予言し社員の決意と努力を要請する訓示があった。
4月1日 広告料一糎七円六十八銭二厘に値上。旅費規程を改正実施した。本社特設防衛団を改組し富久敬之を団長とした。尼崎、東摂(伊丹)両支局を設け、唐沢正夫を尼崎支局長、梶村龍介を東摂支局長とし、ほかに宇野幸夫を資材部長とした。
4月6日 京阪神各新聞社の綜合防空訓練実施。
4月7日 人事異動発令、富久敬之を企画局計画部長兼務、西松五郎を編集局地方部長、方城正市を調査部長とした。
4月11日 夕刊廃止のため大坪草二郎作小説「留魂記」朝刊に掲載。
4月12日 広告料一糎一段七円六十八銭二厘、指定料一円十八銭二厘以上に値上。
4月18日 広告料の掲載を廃した。
5月1日 六.三ポイント扁平十五字詰十六段制実施、標題最大三段程度となる。方城正市を社史編纂委員主査として本城為圭を休職とした。
5月14日 取締役社長原田棟一郎逝去。
5月15日 新館落成式を行った。
5月18日 原田社長の遺骨を京都から迎えて社長室に安置、社員一同拝礼、通夜をした。
5月19日 原田社長社葬を神戸市営葬儀場で行った。
5月25日 専務取締役阪口覚会社代表となった。
6月1日 喜多俊二を三田支局長心得、長畠義雲を丹波支局長心得とした。
6月18日 活版部を新館一階に移転。
6月 【是月】第二十六回定時株主総会昭和十九年上半期決算(年六分配当)可決
7月1日 一週二十二ページ建(月、火、木三回二ページ)となる。
7月7日 サイパン陥落を報じた。
7月8日 九州西北部空襲を報じた。
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