(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
5月11日 東神戸、御影地方爆撃。
5月14日 原田前社長一周忌法要を別館で修めた。
5月22日 元常務取締役進藤冨士夫ルソン島において戦死。
5月23日 社内において国民義勇隊を編成し発会式を行った。
6月1日 人事異動発令、松村朝行を印刷部長、竹内義明を活版部長とした
6月5日 第二次神戸空襲、三宮附近大部分罹災したが神港ビルは免れた。企画局計画部員広瀬健一爆死。
6月25日 沖縄守備隊全員玉砕の発表を報じた。機構改正、人事異動発令総務局に文書部を置き、但馬、淡路両支局を廃して各総局を置き、水谷信雄を編集局次長、編集局長藤本菊一を整理部長兼務、宇野幸夫を文書部長、山本幹夫を資材部長、渡辺和吉を但馬総局長野村光雄を淡路総局長とした。
7月1日 新聞定価一ヶ月二円七十銭に値上。
7月3日 姫路大空襲、全市殆ど焦土と化し本社姫路支社も焼失した。
7月4日 本社姫路支社仮事務所を公会堂内に置いた。
7月6日 明石大空襲、全市殆ど焼失、本社明石支局も罹災した。
7月11日 第二十八回定時株主総会開催、昭和二十年上半期決算(年三分配当)可決。
7月15日 終戦大詔渙発、鈴木内閣総辞職を速報した。
7月16日 支局長会議、大詔渙発と社員の心得について朝倉社長から訓示があった。
7月17日 東久邇内閣成立を速報した。
7月20日 大本営海軍報道部から同盟通信社を通じて陸海軍関係写真全部焼却せよとの命令があった。
9月4日 調査部再編写真の分類を終った。
9月5日 役員会を開き、本月末を以て行われる全国新聞社の持分合同制度の解消並に中央紙より地方紙へ疎開せる機械人的資源の復元に伴い本社においても自力印刷をなすべくその対策について協議した。
9月11日 互助会役員を増員選任した。
9月13日 米軍の進駐に備えて英文腕章を全社員に交付した。
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