(株)神戸新聞社『神戸新聞五十五年史』(1953.07)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
11月7日 会社経理応急措置法適用解除認可の登記をした。
11月10日 本社、神戸市共催、神戸市青年弁論大会を市役所正庁で開いた。
11月15日 本社、神戸市共催憲法発布記念講演会を市役所で開いた。
11月18日 互助会評議員会おいて社員身分改正案(社員、試用社員の二本建とする)厚生事業団寄附行為案決定。かなづかい、漢字制限対策委員会設置
11月21日 尼崎市と園田村の合併覚書調印を報じた。
11月27日 本日の組込から当用漢字並に新仮名づかいを採用した。
11月30日 財団法人神戸新聞厚生事業団設立認可申請をした。
11月 【是月】焼損修理輪転機の試運転を西脇金田鉄工所で行い公開した。平版印刷機による自損紙利用新聞印刷を開始した。従業員浴場の電熱設備完成。
12月1日 機構を改め社長室を総務局、編輯局を編修局(後更に編集局)普及部を販売部、写真製版課を部に改め、活版部に整備課を置き、自動車配車係を配車課とした。又人事異動を行い、藪清市郎を大阪支社長、井筒勝治郎を写真製版部長とした。
12月9日 財団法人神戸新聞厚生事業団設立認可。
12月11日 待遇改善案発表。
12月14日 編集局長事務取扱を朝倉社長、総務部長専務取扱を田中専務の兼任とした。
12月21日 用紙輸送難のため本日からタブロイド型となる。
12月21日 南海激震、洲本で死者三十余名生じ速報した。
12月23日 第三十一回定時株主総会開催、昭和二十一年下半期決算(株式全部互助会所有につき無配当)可決。
12月29日 用紙事情多少改善のため本日より二ページ大型紙に復した。
- 【是年】振仮名制限実施。歳末義金募集各派日本舞踏競演大会、歌と踊の十八番祭、東宝映画スターのカーニバルなどを催した。
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
1月1日 四ページ。振仮名全廃実施。新年祝賀式を編集局で行い、祝盃を第二会場の重役室で挙げた。互助会給付規程実施。
1月4日 言論機関追放範囲拡大発表。
1月6日 互助会評議員会を開き互助会選挙規則改正案を決した。元普及部長磯村信雄復員してハバロフスクより佐世保に帰った。
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