(株)中国新聞社『中国新聞八十年史』(1972.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月3日 戌辰戦争[戊辰戦争]始まる。 一般参考事項
3月14日 五箇条の誓文。 一般参考事項
4月11日 江戸城開城。 一般参考事項
6月8日 太政官布告で新聞の無許可発行を禁止。 本社および新聞関係
7月17日 江戸を東京と改称。 一般参考事項
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元し一世一元の制決める。 一般参考事項
1868年 - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- わが国近代新聞誕生の年。「中外新聞」「内外新報」「江湖新聞」など創刊。新政府は太政官日誌(後の官報)を2.23創刊。 本社および新聞関係
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
2月8日 新政府は新聞紙印行条例を発布。発行の許可制、政法批評禁止などを決める。 本社および新聞関係
3月7日 「中外新聞」再刊。前年6月以来影をひそめていた「内外新報」なども再刊。 本社および新聞関係
5月18日 五稜郭開城。戌辰戦争[戊辰戦争]終わる。 一般参考事項
6月17日 版籍奉還。各藩主が藩知事となる。 一般参考事項
11月17日 スエズ運河正式開通。 一般参考事項
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
7月19日 普仏戦争始まる。 一般参考事項
9月4日 フランス、共和国を宣言。 一般参考事項
12月8日 わが国最初の日刊新聞「横浜毎日新聞」が創刊。 本社および新聞関係
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
7月14日 廃藩置県。 一般参考事項
8月4日 広島県全域に旧藩主東京移住に反対する農民騒動起こる。武一騒動。 一般参考事項
9月 広島県で新聞購読奨励の布達。 本社および新聞関係
11月2日 県知事を県令と改称。 一般参考事項
12月15日 山田十竹らが広島で最初の新聞「日注雑記」を発刊。第2号で廃刊。 本社および新聞関係
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