(株)中国新聞社『中国新聞八十年史』(1972.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
- この年、地方の中心地に新聞が出始める。 本社および新聞関係
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
1月 織田正次郎が発行人となり「広島新聞」を発行。明治6年廃刊。 本社および新聞関係
8月3日 学制(近代的教育法令)を頒布。 一般参考事項
11月9日 太陰暦を廃して太陽暦を採用。 一般参考事項
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
1月9日 広島に第5軍管広島鎮台を設置。 一般参考事項
6月 因島騒動。 一般参考事項
10月19日 太政官布告で新聞紙条目定める。発行許可制、国体誹謗、政法批評禁止と官吏の職務上の情報漏洩の防止などを規定。 本社および新聞関係
10月 広島電信局開局。 一般参考事項
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
2月1日 江藤新平らの佐賀の乱が起こる。 一般参考事項
4月13日 岸田吟香(東京日日記者)台湾征討に従軍のため東京発。従軍記者の初め。 本社および新聞関係
5月17日 征台の役。(10月31日まで) 一般参考事項
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
4月14日 立憲政体を立てるとの詔書が出され元老院、大審院を設置。 一般参考事項
6月28日 讒謗律・新聞紙条例太政官布告。反政府運動対策として言論取り締まりを強化し、刑罰規定を設ける。 本社および新聞関係
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
3月28日 廃刀令を発する。 一般参考事項
5月5日 内務省が国安妨害の記事を掲載した新聞・雑誌に発行禁止・停止の行政処分を行なうことを決める。 本社および新聞関係
6月28日 東京、横浜の有力紙記者らが讒謗律、新聞紙条例の公布1周年を期して受難新聞供養大施餓鬼会を浅草寺で開く。 本社および新聞関係
10月24日 大田黒伴雄らの神風連の乱。 一般参考事項
10月27日 宮崎車之助らの秋月の乱。 一般参考事項
10月28日 前原一誠らの萩の乱起こる。 一般参考事項
11月 広島県庁内に広島裁判所を設置。 一般参考事項
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