(株)帝国ホテル『ホテルと共に七十年』(1964.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
10月 (五十九歳)川奈ホテル取締役会長に推さる。 [犬丸徹三]年譜
12月 (五十九歳)帝国ホテル取締役社長就任。 [犬丸徹三]年譜
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月 (六十歳)メイド学校創立さる。九百人の卒業生を出し、四月閉鎖。 [犬丸徹三]年譜
7月 (六十歳)帝国ホテル、従業員給与制度改革。 [犬丸徹三]年譜
9月 (六十歳)帝国ホテル、戦災被害の修理、一応成る。 [犬丸徹三]年譜
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
1月 (六十一歳)赤倉帝国、川奈両ホテル取締役会長辞任。 [犬丸徹三]年譜
1月 (六十一歳)京都ホテル取締役辞任。 [犬丸徹三]年譜
2月 (六十一歳)日本ホテル業統制組合解散。同組合監事辞任。 [犬丸徹三]年譜
3月 (六十一歳)終戦連絡中央事務局ホテル委員会委員に任ぜらる。 [犬丸徹三]年譜
9月 (六十一歳)国営ホテル委員会委員に就任す。 [犬丸徹三]年譜
10月 (六十一歳)終連中央事務局のホテル委員会、特別調達庁に移管され、引き続き、その委員に任ぜらる。 [犬丸徹三]年譜
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
6月 (六十二歳)日本ホテル協会会長に就任す。 [犬丸徹三]年譜
6月 (六十二歳)日本交通公社参与を委嘱さる。 [犬丸徹三]年譜
8月 (六十二歳)観光事業審議会設置。その委員に任ぜらる。 [犬丸徹三]年譜
10月 (六十二歳)国立公園中央審議会委員に任ぜらる。 [犬丸徹三]年譜
10月 (六十二歳)観光事業審議会特別委員会委員を委嘱さる。 [犬丸徹三]年譜
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
1月 (六十三歳)日本貿易会参与を委嘱さる。 [犬丸徹三]年譜
3月 (六十三歳)東京都観光事業審議会委員に任ぜらる。 [犬丸徹三]年譜
5月 (六十三歳)芝パーク・ホテル取締役 社長就任。 [犬丸徹三]年譜
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
5月 (六十四歳)日本ホテル協会機関誌月刊「ホテル・レビュー」創刊さる。 [犬丸徹三]年譜
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