※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月3日 | 江戸を東京に改称 | 業界・一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 明治に改元 | 業界・一般事項 | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京・芝に私設の屠牛場開設 | 業界・一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月25日 | 版籍奉還 | 業界・一般事項 | |
7月 | 延遼館で、わが国初の西洋風接待行われる | 業界・一般事項 | |
- | 帝国ホテルの敷地となる山下門内の阿部播磨守屋敷は、明治維新後、清水氏、奥平氏と持ち主が変わる | 当社事項 | |
- | 築地牛馬会社設立、牛肉食の普及に努める | 業界・一般事項 | |
- | 延遼館での英国エジンバラ公の接待に西洋料理を供す | 業界・一般事項 | |
- | 京橋の風月堂、パンの販売開始 | 業界・一般事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪造幣寮の迎賓館として泉布館建設 | 業界・一般事項 | |
- | 横浜にグランドホテル開業(6年横浜居留地海岸通り20番に新装開店) | 業界・一般事項 | |
- | 延遼館でのスペイン使節、オランダ使節、デンマーク使節の接待に西洋料理を供す | 業界・一般事項 | |
- | 米国パシフィック・メール社、サンフランシスコ―横浜―神戸―長崎―上海間の定期航路開設 | 業界・一般事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月23日 | 岩倉使節団、パシフィック・メール社の蒸気船アメリカ号で欧米視察 | 業界・一般事項 | |
- | 仮名垣魯文、『安愚楽鍋』発表 | 業界・一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月3日 | 旧江戸城和田倉門内兵部省添屋敷から出火、築地ホテル館焼失 | 業界・一般事項 | |
10月14日 | 新橋―横浜間鉄道開業 | 業界・一般事項 | |
- | 帝国ホテルの敷地となる山下門内の土地、隣接する島津邸を併せて博覧会事務局に所属 | 当社事項 | |
- | 宮中で肉を試食、僧侶の肉食許可 | 業界・一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 北村重威、東京・京橋采女町に精養軒を開業 | 業界・一般事項 |