※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 外国人への旅行ガイド組合「開誘社」結成 | 業界・一般事項 | |
- | 米国人経営の製氷工場、初めて製氷開始 | 業界・一般事項 | |
- | 北海道開拓使七重試験場で、チーズの製造開始 | 業界・一般事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 郵便汽船三菱会社、ウラジオストク航路開設 | 業界・一般事項 | |
2月 | 日本橋馬喰町の旅館が連合して、外国人相手の東京名所案内社を設立(府下の名所案内、4日間1円) | 業界・一般事項 | |
10月11日 | 明治14年の政変 | 業界・一般事項 | |
10月18日 | 自由党結成 | 業界・一般事項 | |
- | 博物館、上野へ移転、以後、同地は下記のように分かれる//山下門内 南側 鹿鳴館→華族会館 山下門内 北側 内務省→内務大臣官舎 北側 農商務省→帝国ホテル 北側 東京府→東京府中学 | 当社事項 | |
- | マレーの『日本旅行案内』第1版、"A handbook for travellers in central & northern Japan"出版 | 業界・一般事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月27日 | 日本銀行設立 | 業界・一般事項 | |
7月14日 | 共同運輸会社(三井系)設立 | 業界・一般事項 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月16日 | 東京商工会設立認可(東京商法会議所は解散) | 業界・一般事項 | |
11月28日 | 鹿鳴館開館式(7月竣工、ジョサイ・ア・コンドル設計、工費14万円)、「鹿鳴館時代」始まる | 業界・一般事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 大阪商船設立 | 業界・一般事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月29日 | 日本郵船会社設立(郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併) | 業界・一般事項 | |
12月22日 | 内閣制度確立 | 業界・一般事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 内閣直属の臨時建築局設置(総裁井上馨)、その官庁集中計画のなかにホテル建設も含まれる | 当社事項 | |
4月24日 | ドイツ人建築家W・ベックマン、メンツとともに来日 | 業界・一般事項 | |
6月 | 英国人デクソン、軽井沢の三沢屋に宿泊(以後、軽井沢は避暑地として外国人に広まる) | 業界・一般事項 | |
11月 | 日本橋小網町に喫茶店開店(東京初のコーヒー店) | 業界・一般事項 |