※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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安政6年(1859) | 7月1日 | 神奈川・箱館開港(長崎・神奈川・箱館の三港で露・仏・英・蘭・米との自由貿易開始) | 業界・一般事項 |
万延元年(1860) | - | 横浜にヨコハマホテル開業(横浜初のホテル、慶応2焼失) | 業界・一般事項 |
慶応2年(1866) | - | 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 浜離宮の幕府施設を延遼館とし、外国貴賓の宿泊・接遇施設とする | 業界・一般事項 | |
- | 西洋料理店、江戸に数軒開店 | 業界・一般事項 | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月9日 | 大政奉還 | 業界・一般事項 | |
- | 築地に築地ホテル館竣工(慶応4開業) | 業界・一般事項 | |
- | 初の本格西洋料理の店三河屋、神田に開店 | 業界・一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月23日 | 明治に改元 | 業界・一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 延遼館で、わが国初の西洋風接待行われる | 業界・一般事項 | |
- | 帝国ホテルの敷地となる山下門内の阿部播磨守屋敷は、明治維新後、清水家、奥平氏と持ち主が変わる | 帝国ホテル関係事項 | |
- | 京橋の風月堂、パンの製造開始 | 業界・一般事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 横浜にグランドホテル開業(明治6 横浜居留地海岸通り二〇番に新装開店) | 業界・一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 旧江戸城和田倉門内兵部省添屋敷から出火、築地ホテル館焼失 | 業界・一般事項 | |
10月14日 | 新橋~横浜間鉄道開業 | 業界・一般事項 | |
- | 帝国ホテルの敷地となる山下門内、隣接する島津邸を合わせて博覧会事務局に所属 | 帝国ホテル関係事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 北村重威、東京・京橋区采女町に精養軒を開業 | 業界・一般事項 | |
- | 後の日光金谷ホテル、夏季のみカッテージインとして営業開始 | 業界・一般事項 | |
- | 英国のトーマス・クック社、世界一周旅行を斡旋 | 業界・一般事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 再建中の銀座・京橋一帯、軒並みのそろった洋風街ほぼ完成 | 業界・一般事項 | |
- | 牛鍋屋繁盛 | 業界・一般事項 |