※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月19日 | 日比谷門から三井本館前を経て帝国ホテル前の山下橋に至る濠池の埋立て完了 | ||
2月1日 | 東京・大阪間に長距離市外電話回線開通 | ||
7月17日 | 日英通商航海条約(1894年調印)はじめ改正条約実施(治外法権撤廃) | ||
8月4日 | 外国人に内地旅行・居住の自由認可 | ||
8月5日 | 帝国ホテルで改正条約実施祝賀会開催 | ||
11月3日 | 天長節夜会開催 | ||
11月 | 東京の西洋料理人、ボーイら進徳会組合を結成(1901年、日本料理人組合と改称) | ||
- | ロンドンにカールトンホテル開業 | ||
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | パリ万国博覧会開催 | ||
5月2日 | 外遊中の大倉喜八郎取締役に外国人支配人雇用を委任 | ||
6月4日 | 渋沢栄一の男爵叙爵祝賀会開催(参加1,000人余) | ||
10月26日 | 取締役会開催。大倉取締役が選定したスイス人バイターの雇用を決定(1901年、就任要請交渉は不調に終わる) | ||
11月3日 | 天長節夜会開催 | ||
- | 再び無配となる | ||
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月14日 | 米友協会のペリー上陸記念碑除幕式の祝宴への仕出しを担当 | ||
8月 | 電灯線の全線架設替え実施 | ||
11月3日 | 天長節夜会開催 | ||
11月18日 | 官営八幡製鉄所操業開始 | ||
12月7日 | ドイツ人エミール・フライク入社 | ||
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟調印 |