※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月1日 | 東京市赤坂区田町5丁目6番地に工場新設、移転(敷地161坪:531.3m2) | 当社関係 | |
3月1日 | 第5回内国勧業博覧会(大阪天王寺)に出品、チョコレートクリーム3等賞を受ける//会期中(3.1~7.31)森永特設売店を設け、銀座亀屋と共同で洋風広告塔(高さ16m)を建てる | 当社関係 | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月10日 | 日露戦争始まる | 社会・業界 | |
2月 | 内外製菓卸業組合設立 | 社会・業界 | |
7月1日 | たばこ専売制実施 | 社会・業界 | |
7月8日 | 最初の新聞広告「中元進物西洋菓子衛生佳品マシマロー、バナナ」を報知新聞に掲載 | 当社関係 | |
8月8日 | 京浜地区の売捌店(取扱所)41店の名入り広告を報知新聞に掲載 | 当社関係 | |
8月15日 | 赤坂田町工場の平屋建の一部を2階建に改築 | 当社関係 | |
- | この年、業界に先駆け男女従業員の制服を制定 | 当社関係 | |
- | この年の主な発売商品...キャラメル10斤缶(600粒入)、同バラ売り用1斤缶(60粒入40銭)、フレンチメキスト(進物用乾燥物の詰合せ) | 当社関係 | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 松崎半三郎入店、支配人に就任 | 当社関係 | |
1月1日 | 旅順開城 | 社会・業界 | |
5月9日 | エンゼルマークを初めて新聞広告に使用 | 当社関係 | |
5月10日 | エンゼルマークを商標登録(登録番号23373号) | 当社関係 | |
5月27日 | 日本海海戦 | 社会・業界 | |
5月28日 | 砲弾型マシマロー発売 | 当社関係 | |
6月1日 | 塩専売制実施 | 社会・業界 | |
9月5日 | 日露講和条約調印 | 社会・業界 | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月31日 | 鉄道国有法公布 | 社会・業界 | |
9月 | 汽車博覧会(車両を展示場に利用した動く博覧会場)に出品(会期9月~11月、菓子業界では森永商店のみ)、関東・東北・信越面へ販路拡大//当時販売したもの、西洋キャンデー数十種に及ぶ | 当社関係 |