※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月20日 | ジャワ、スマラン博覧会に出品、名誉大賞牌を受ける | 当社関係 | |
8月23日 | 日本対独宣戦布告 | 社会・業界 | |
9月14日 | 生糸相場暴落、株式動揺 | 社会・業界 | |
11月25日 | ポケット用ミルクキャラメル外函模様2種意匠登録、同折詰模様意匠登録 | 当社関係 | |
12月 | 米価暴落、農村救済の声起こる | 社会・業界 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | このころポケット用ミルクキャラメル偽物続出 | 当社関係 | |
1月13日 | 芝田町工場外国部輸出用ビスケット製造開始 | 当社関係 | |
5月29日 | 本社事務所を同番地東隣り3階洋館に移転 | 当社関係 | |
7月23日 | 大崎工場(東京府荏原郡品川町)一部落成、製造開始 | 当社関係 | |
8月1日 | 芝田町工場内に化学試験部新設 | 当社関係 | |
8月1日 | 松旭斎天勝(初代)とタイアップ、有楽座、国技館で初めて森永デー開催 | 当社関係 | |
8月18日 | 第1回全国中等学校(現高校)優勝野球大会開催 | 社会・業界 | |
9月1日 | 全国に特約店制度を設ける | 当社関係 | |
9月10日 | 自動車広告隊・活動写真宣伝隊を組織し全国に広告宣伝を行なう | 当社関係 | |
11月10日 | 大正天皇即位の礼 | 社会・業界 | |
12月2日 | 陸軍大観兵式に際し東京市内で「飛行機デー」を行ない、紙製玩具飛行機を宣伝自動車からまく | 当社関係 | |
12月14日 | 「森永ミルクキャラメル」を商標登録(登録番号第76389号)、「森永キャラメル」を商標登録(同第76393号) | 当社関係 | |
12月 | 海運界好況、30割配当の会社出現 | 社会・業界 | |
- | この年の主な発売商品...キャラメル進物(1円・50銭)、ミンツキャラメル(10銭・5銭)、チョコレートバー(15銭) | 当社関係 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月25日 | 芝田町工場、外国部工場の一部を残し全焼、大崎工場の大増産により当面の急場をしのぎながら本工場の再建を急ぐ | 当社関係 |