東宝映画(株)『東宝映画拾年史抄』(1942.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
- 帝キネ新興キネマとなる。 小社創立以前史
- 小社の前身、匿名組合写真化学研究所生る。 小社創立以前史
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
- 松竹最初の本格トーキー「マダムと女房」発表。邦楽座に字幕別映写法《タイドタイトル》試みらる。最初のスーパーインポーズ版、「モロツコ」封切さる。 小社創立以前史
- 小社の前身、匿名組合国産トーキー社生る。 小社創立以前史
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
1月 日活、松竹、新興俳優争奪防止を協定 一般映画界の動向
1月 第六十義会解散 社会情勢の進展
1月 上海事変突発 社会情勢の進展
1月 独逸賠償金支払不能を声明 社会情勢の進展
1月 ロシヤ・フインランド間、ロシヤ・ポーランド間に不侵略条約成立 社会情勢の進展
2月 写真化学研究所現像場及最初のトーキーステーヂを成城に完成、丸ビルより営業所を移転 東宝映画発展の跡
2月 日活と録音提携契約成る(個人写真化学時代) 東宝映画発展の跡
2月 内務省上映時間、米数の全国的四時間六千米以内制限と各府県に希望通牒を発す 一般映画界の動向
2月 国際聯盟の支那調査委員一行来朝 社会情勢の進展
2月 満蒙新国家独立宣言を発表し、次でその国号を満洲国と決定す 社会情勢の進展
2月 国際聯盟主催一般軍縮会議ジユネーヴに開催 社会情勢の進展
3月 朝日新聞社とのニュース録音契約成る 東宝映画発展の跡
3月 満洲国建国(首都長春を新京と改称) 社会情勢の進展
3月 溥儀氏満洲国執政に就任 社会情勢の進展
3月 米政府満洲国不承認を声明、英政府承認尚早を声明 社会情勢の進展
4月 大沢商会写真部開設 東宝映画発展の跡
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