※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 帝キネ新興キネマとなる。 | 小社創立以前史 | |
- | 小社の前身、匿名組合写真化学研究所生る。 | 小社創立以前史 | |
昭和6年(1931) | - | 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 松竹最初の本格トーキー「マダムと女房」発表。邦楽座に字幕別映写法《タイドタイトル》試みらる。最初のスーパーインポーズ版、「モロツコ」封切さる。 | 小社創立以前史 | |
- | 小社の前身、匿名組合国産トーキー社生る。 | 小社創立以前史 | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 日活、松竹、新興俳優争奪防止を協定 | 一般映画界の動向 | |
1月 | 第六十義会解散 | 社会情勢の進展 | |
1月 | 上海事変突発 | 社会情勢の進展 | |
1月 | 独逸賠償金支払不能を声明 | 社会情勢の進展 | |
1月 | ロシヤ・フインランド間、ロシヤ・ポーランド間に不侵略条約成立 | 社会情勢の進展 | |
2月 | 写真化学研究所現像場及最初のトーキーステーヂを成城に完成、丸ビルより営業所を移転 | 東宝映画発展の跡 | |
2月 | 日活と録音提携契約成る(個人写真化学時代) | 東宝映画発展の跡 | |
2月 | 内務省上映時間、米数の全国的四時間六千米以内制限と各府県に希望通牒を発す | 一般映画界の動向 | |
2月 | 国際聯盟の支那調査委員一行来朝 | 社会情勢の進展 | |
2月 | 満蒙新国家独立宣言を発表し、次でその国号を満洲国と決定す | 社会情勢の進展 | |
2月 | 国際聯盟主催一般軍縮会議ジユネーヴに開催 | 社会情勢の進展 | |
3月 | 朝日新聞社とのニュース録音契約成る | 東宝映画発展の跡 | |
3月 | 満洲国建国(首都長春を新京と改称) | 社会情勢の進展 | |
3月 | 溥儀氏満洲国執政に就任 | 社会情勢の進展 | |
3月 | 米政府満洲国不承認を声明、英政府承認尚早を声明 | 社会情勢の進展 | |
4月 | 大沢商会写真部開設 | 東宝映画発展の跡 |