(株)東洋経済新報社『東洋経済新報社百年史』(1996.09)

"神原周平"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
大正10年(1921) 12月 営業部長松下知陽退社、後任に神原周平が就任 東洋経済関係
大正14年(1925) 1月25日 臨時株主総会開催、石橋湛山が代表取締役・専務に、取締役に高橋亀吉・神原周平が就任(三浦銕太郎は取締役を辞任) 東洋経済関係
大正15年(1926) 3月27日 本号より本誌の編集兼発行人名義を石橋湛山から神原周平に変更 東洋経済関係
昭和6年(1931) 6月13日 本誌発行名義人を、発行人神原周平・印刷人福岡之治から、編集印刷兼発行人神原周平に変更 東洋経済関係
昭和9年(1934) 3月15日 はじめて「社制」を実施、三浦銕太郎を相談役に、神原周平・大野亀太郎・松永和吉・山田秀雄・小野文英・小倉政太郎・三宅晴暉・周東保造・阿部嘉蔵を理事に関西支局長は阿部嘉蔵から小倉政太郎に 東洋経済関係
昭和12年(1937) 3月5日 新設の副主幹に営業局長神原周平が就任(後任局長は三宅晴暉).関西支局長小倉政太郎に代わり周東保造が就任 東洋経済関係
昭和13年(1938) 9月22日 職制一部改定、編輯局長と総務局長を新設、編輯局長に内山徳治、総務局長に山田秀雄、副主幹神原周平が営業局長兼務、関西支局総務宮川三郎が支局長兼務 東洋経済関係
昭和15年(1940) 10月10日 神原周平が関西支局長、宮川三郎が総務局長兼営業局長、根津知好が編輯局長に 東洋経済関係
11月25日 本誌発行人兼編集人兼印刷人の名義を、神原周平から野沢義朗に変更 東洋経済関係
昭和16年(1941) 2月15日 社長制新設に伴い、代表取締役社長に石橋湛山が就任、取締役に宮川三郎・神原周平・山田秀雄・佐藤伊兵衛、監査役に野沢義朗・内山徳治を選任 東洋経済関係
8月 石橋退陣論起こる(関与した根津知好・内山徳治・神原周平、9~10月に退社) 東洋経済関係
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