同和鉱業(株)『創業百年史. 資料』(1985.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
延慶元年(1308) - (延慶年間 1308~1310)石見銀山(現・大森鉱山)発見と伝えられる 藤田組編当社・関係会社事項
慶長元年(1596) - (慶長年間 1596~1614)美作柵原付近にて褐鉄鉱の露頭発見(現・柵原鉱山) 藤田組編当社・関係会社事項
延宝5年(1677) 6月 慶長年間に始まる秋田・南部両藩の領境争論、幕府の裁定によりようやく解決 藤田組編業界・一般事項
10月 【小坂】白根村山師石田儀左衛門ら3名、鹿角郡内おたるべ沢近辺数か所にて新たな銅の見立てを出願、許可される 藤田組編当社・関係会社事項
天和2年(1682) 10月 【小坂】白根村山師石田儀左衛門、小坂山之内おたるべ銅新見立て出願、許可される 藤田組編当社・関係会社事項
天和3年(1683) 9月 【小坂】白根村山師石田儀左衛門、おたるべ山(現・小坂鉱山)を発見(銅鉱) 藤田組編当社・関係会社事項
貞享3年(1686) - 【小坂】おたるべ山師石田儀左衛門、銅精錬を行なう 藤田組編当社・関係会社事項
- このころ銅鉱業盛況にて稼行銅山数50、年産荒銅900万斤(5、400t)、その絞り銀700貫(2、625kg) 藤田組編業界・一般事項
元文元年(1736) - 伊予市ノ川鉱山、安質母尼を産し、合金用ならびに薬用に供する 藤田組編当社・関係会社事項
文化4年(1807) - 【小坂】おたるべ山、当時から100年前すでに稼業の記録、江戸時代の紀行家菅江真澄の『十曲湖』にみえる 藤田組編当社・関係会社事項
文政12年(1829) 3月 【小坂】陸中国鹿角郡小坂村農民多左衛門(熊谷)、同村杉原で鉛鉱と思われるものを発見し、杉原鉛鉱と命名 藤田組編当社・関係会社事項
天保12年(1841) 5月15日 藤田伝三郎、長州萩の酒造家藤田半右衛門の四男として生まれる 藤田組編当社・関係会社事項
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
8月15日 【小坂】陸中国鹿角郡小坂村岩沢農民与作(小林)、同村薔薇森ノ沢(現・小坂元山地区)付近で銀鉱を発見 藤田組編当社・関係会社事項
文久2年(1862) 12月 【小坂】小坂村農民与作、同村上小坂農民甚左衛門(小笠原)その他とともに銀山試掘を南部藩へ出願〔翌年3月許可、灰吹法による銀製錬を開始し、銀塊を得る〕 藤田組編当社・関係会社事項
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋慶喜に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
7月18日 禁門の変 藤田組編業界・一般事項
7月23日 第1次征長の役 藤田組編業界・一般事項
- 藤田伝三郎、長州藩正義派に加わり高杉晋作に師事し、奇兵隊に投じる 藤田組編当社・関係会社事項
- 尾去沢鉱山、南部藩の経営に移る 藤田組編業界・一般事項
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
1月17日 【小坂】南部藩、大島高任を毛馬内通小坂銀山御用懸に任命〔洋式熔鉱炉2基、精銀炉等を有する製錬所の建設に着手させたが戊辰戦争のため中絶〕 藤田組編当社・関係会社事項
12月9日 朝廷、王政復古を宣言 藤田組編業界・一般事項
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