※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 戊辰戦争起こる | 藤田組編業界・一般事項 | |
2月25日 | 旧幕府の銅座役所を収めて大阪銅会所と改称〔明治政府の鉱山中央官庁の発端。7月鉱山局、12月鉱山司と改称〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
3月14日 | 五箇条の誓文発布 | 藤田組編業界・一般事項 | |
7月17日 | 江戸を東京と改称 | 藤田組編業界・一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 改元明治元年 | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
9月8日 | 明治と改元し、一世一元の制を定める | 藤田組編業界・一般事項 | |
12月 | 幕府直営生野鉱山を官行とする〔フランス人ヱル・フランソワ・コワニーを技師長として経営の改善にあたらせる〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | 造幣局設置 | 藤田組編業界・一般事項 | |
2月20日 | 行政官布告第177号(1年12月布告)実施。〔鉱山は何人にも開放、金銀銅は精錬のうえ鉱山両司に差出、鉱山司はこれを買収〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
4月5日 | 「鉱山司大意書」「鉱山司規則書」を布告〔行政官布告第177号に対する官吏の執務方を規定〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
4月 | 佐渡鉱山を官行とする | 藤田組編業界・一般事項 | |
6月4日 | 久原房之助、藤田伝三郎の兄庄三郎の四男として生まれる | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
6月17日 | 版籍奉還 | 藤田組編業界・一般事項 | |
7月8日 | 兵部省設置 | 藤田組編業界・一般事項 | |
8月2日 | 石見銀山、官営となる | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
10月7日 | 藤田伝三郎の長子平太郎生まれる | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
11月24日 | 【小坂】小坂鉱山、官営となる〔第1次官営〕 | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
12月 | 大島高任、「小坂銀山銀鉱製煉順序」10か条、「小坂銀山建築諸費概算」等7項目の計画案を作成、政府に上申 | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
12月 | 大島高任、大学大助教から民部省へ転任、鉱山司鉱山権正に任ぜられる | 藤田組編業界・一般事項 | |
- | 藤田伝三郎、大阪高麗橋通二丁目に軍靴製造業を営む〔藤田組創業の端緒〕 | 藤田組編当社・関係会社事項 |