※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大島高任、盛岡に民部省鉱山司出張所を開設 | 藤田組編業界・一般事項 | |
6月 | 【小坂】製錬所建設工事再開、熔鉱炉を完成〔これ以後、坑場を元山採鉱場と改称〕 | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
10月20日 | 工部省をおく〔鉱山・製鉄・鉄道・灯台・電信の5掛を民部省より移管〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 大阪に造幣寮設置〔洋式製錬技術を伝え、初めてコークスを製造する〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
2月 | 陸中十輪田鉱山を官行とし、小坂鉱山の支山とする | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
5月10日 | 新貨条例を定める〔新貨幣の呼称を円・銭・厘、10進1位法とする。わが国最初の金本位制〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
7月14日 | 廃藩置県の詔書でる | 藤田組編業界・一般事項 | |
8月14日 | 工部省に工学寮を開設、採鉱冶金学を教える | 藤田組編業界・一般事項 | |
11月12日 | 大島高任、岩倉遣外使節団に随行しアメリカ・ヨーロッパ巡回〔6年6月帰国〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 工部小輔山尾庸三、鉱業振興方策を正院に建議 | 藤田組編業界・一般事項 | |
3月27日 | 鉱山心得書を定める〔鉱物はすべて政府の所有とし、開採権の政府専有を規定〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
8月3日 | 学制を頒布 | 藤田組編業界・一般事項 | |
9月12日 | 新橋~横浜間鉄道開業〔わが国最初の鉄道〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
11月9日 | 太陰暦を廃し太陽暦を採用〔明治5年12月3日を明治6年1月1日とする〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
- | 【小坂】イギリス式分銀炉設置 | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
- | 造幣寮(大阪)、金製錬のため鉛室硫酸を製造 | 藤田組編業界・一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月14日 | 大蔵大輔井上馨・大蔵省三等出仕渋沢栄一、大蔵省事件で免官 | 藤田組編業界・一般事項 | |
7月20日 | 日本坑法頒布〔9月1日施行。鉱山その他諸坑業の規則を改定、坑物関係全事項を工部省の管轄とする〕 | 藤田組編業界・一般事項 | |
12月 | 藤田組、京都~大阪間鉄道建設工事に人夫供給・管理を請け負う〔10年2月竣工〕 | 藤田組編当社・関係会社事項 | |
12月 | 【小坂】ドイツ人技師クルト・ネットー、小坂鉱山に着任、新製錬法への転換に着手〔マンスフェルト熔鉱炉採用、銀にはチャフォーゲル法、銅にはハント・ダグラス法を適用。10年完了〕 | 藤田組編当社・関係会社事項 |