※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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寛永18年(1641) | - | この年 鎖国体制完了 | その他の動き(県内外) |
享保7年(1722) | - | この年 瓦版の禁止令、出版統制 | その他の動き(県内外) |
天明6年(1786) | - | この年 川原慶賀(御用絵師)長崎に生まれる | その他の動き(県内外) |
天明8年(1788) | 10月10日 | 司馬江漢(江戸系洋風画の創始者)時津を経て長崎に入る 11.14までの35日間の滞在見聞記「江漢西遊記」を著す | その他の動き(県内外) |
文化元年(1804) | - | この年 この頃町人文化起こる | その他の動き(県内外) |
- | この年 長崎版画が最盛期を迎える | その他の動き(県内外) | |
文化8年(1811) | 4月 | 松浦東渓「長崎古今集覧」を著す | その他の動き(県内外) |
文化14年(1817) | 7月3日 | 長崎・出島オランダ商館長ブロムホフが妻子を伴い着任。妻子らの滞在は許されず、11月ヘンドリック・ドーフと共に長崎を去るが、川原慶賀が描いたブロムホフ家族の絵を大和屋などが版行 | その他の動き(県内外) |
文政4年(1821) | 7月 | オランダ船が駱駝2頭舶載して長崎に入港、見物人殺到 | その他の動き(県内外) |
- | この年 駱駝を描いた長崎版画版行 「ラクダ節」も流行 | その他の動き(県内外) | |
文政7年(1824) | - | この年 本木昌造(印刷術の開祖)長崎・新大工町に生まれる | 県内マスコミ関連 |
- | この年 シーボルトが鳴滝塾を開く | その他の動き(県内外) | |
文政11年(1828) | - | この年 シーボルト、国禁の地図所持でシーボルト事件起こる | その他の動き(県内外) |
天保7年(1836) | 1月1日 | 本県新聞の先覚者・西道仙、天草御領村で誕生 | 県内マスコミ関連 |
- | この年 絵師・川原慶賀「慶賀写真集」上・下を刊行 | その他の動き(県内外) | |
天保11年(1840) | - | 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月27日 | 幕府、「阿蘭陀風説書」(のち「オランダ風説書」に改題=邦訳)にオランダ語原文を添付するよう長崎奉行に命令 | 県内マスコミ関連 | |
- | この年 アヘン戦争起こる | その他の動き(県内外) | |
天保12年(1841) | 3月23日 | 福地桜痴(日本新聞界の先覚)長崎・新石灰町に生まれる | 県内マスコミ関連 |
6月1日 | 上野俊之丞、オランダ船から入手した写真機で薩摩藩主・島津斉彬を撮影と伝承(日本人が日本人を撮影したとして「写真の日」を記念して定められた) | その他の動き(県内外) | |
- | この年 石崎融思「長崎古今集覧名勝図絵」を完成 | その他の動き(県内外) |