※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 福地桜痴、東京で「江湖新聞」創刊、6.8発行禁止に | 県内マスコミ関連 | |
7月 | 江戸を東京と改称 | その他の動き(県内外) | |
8月1日 | 本木昌造、長崎新聞局をつくり、活版「崎陽雑報」(週刊)を創刊、長崎で最初の新聞、わが国最初の地方新聞 | 県内マスコミ関連 | |
8月1日 | 本木昌造が製作した「くろがね橋」が開通(わが国初の鉄橋) | その他の動き(県内外) | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元 | その他の動き(県内外) | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年 居留地で英字新聞「Nagasaki Times」(英国人F.ウォルシュ、週刊)創刊 | 県内マスコミ関連 | |
- | この年 ド・ロ神父が大浦天主堂で「教会暦」「聖教日課」を石版印刷、わが国最初の石版印刷 | その他の動き(県内外) | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月8日 | 新聞紙印行条例公布 | その他の動き(県内外) | |
5月 | 「崎陽雑報」廃刊 | 県内マスコミ関連 | |
6月1日 | 本木昌造が長崎・興善町に活版伝習所設立、わが国活版術の始まり | その他の動き(県内外) | |
12月4日 | 浦上キリシタンを検挙、1村総流罪(浦上四番崩れ) | その他の動き(県内外) | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 英字紙「The Nagasaki Express」(大浦、社長兼主筆・ポルトガル人F・ブラガー、週刊)創刊 | 県内マスコミ関連 | |
3月1日 | 本木昌造が長崎製鉄所掛を辞任(2月)し新町活版所創立、日本活字号数制、活字鋳造を開始、わが国民間活版所の始まり | その他の動き(県内外) | |
9月19日 | 官板「海外新聞」刊行 | その他の動き(県内外) | |
10月 | 本木昌造上京、文部省活字御用掛となる | その他の動き(県内外) | |
12月8日 | 本木昌造、神奈川県知事の依頼で「横浜新聞」(のちの横浜毎日新聞)を創刊、わが国最初の日刊新聞 | 県内マスコミ関連 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | 郵便規則発布 | その他の動き(県内外) | |
6月 | 長崎~上海間海底電線完工、国際電報の取り扱い始まる | その他の動き(県内外) | |
7月14日 | 廃藩置県、3府72県となる | その他の動き(県内外) | |
12月5日 | 東京~長崎間に郵便開設、長崎は本博多町に郵便役所設置 | その他の動き(県内外) |