※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月28日 | 讒謗律・新聞紙条例制定 | その他の動き(県内外) | |
9月3日 | 本木昌造(活版印刷術の開祖、52歳)没、新町活版所は二子小太郎が継承、桑原安六が後見人に | その他の動き(県内外) | |
12月 | 西道仙が本田実、本木昌造らと「長崎新聞」(新町新聞局、社長・本田実、編集主任・西道仙、隔日刊)復刊 | 県内マスコミ関連 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 「長崎新聞」(本田実、西道仙)が「西海新聞」(勝山町新聞局、社長・本多実、編集長・西道仙ほか、隔日刊)に改題 | 県内マスコミ関連 | |
3月28日 | 廃刀令 | その他の動き(県内外) | |
7月5日 | 新聞雑誌等の国安を妨害すと認めたものは発行を禁止又は停止する(太政官令第98号) | その他の動き(県内外) | |
10月2日 | 「西海新聞」編集長・西道仙に禁獄1月(新条例誹謗) | 県内マスコミ関連 | |
10月31日 | 熊本県下賊徒追討で軍事関係記事一切掲載禁止 | その他の動き(県内外) | |
- | この年 「長崎新聞」は勝山町新聞局(後の以文会社)から発行 | 県内マスコミ関連 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争始まる | その他の動き(県内外) | |
3月15日 | 長崎・諏訪公園丸馬場で勧業博覧会を開催 | その他の動き(県内外) | |
5月11日 | 「西海新聞」編集主任・西道仙が独立、長崎・酒屋町に西海社を創立、「長崎自由新聞」(社長・西道仙、編集長・小幡真先、日刊)創刊。九州初の日刊新聞 | 県内マスコミ関連 | |
9月24日 | 西郷隆盛、城山で自刃、西南戦争終わる | その他の動き(県内外) | |
9月 | 長崎でコレラ流行(10月まで) | その他の動き(県内外) | |
10月10日 | 北島秀朝長崎県令コレラ視察中に感染死亡 | その他の動き(県内外) | |
12月 | 「長崎自由新聞」(西海社、社長・西道仙、日刊)廃刊 | 県内マスコミ関連 | |
- | この年 上野彦馬が西南の役に従軍、四つ切り写真49枚を写す、わが国従軍カメラマン第1号 | 県内マスコミ関連 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月5日 | 英字新聞「The Nagasaki Times」が「The Kyushu Times」と改題して復刊 | 県内マスコミ関連 | |
5月14日 | 大久保利通暗殺される | その他の動き(県内外) | |
9月21日 | コレラ流行、本県患者1,854人、死者511人に達する | その他の動き(県内外) |