※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月27日 | 日本銀行条例制定布告。 | 日本史 | |
7月5日 | 中外物価新報局を匿名組合商況社と改め兜町三に移転、河野呈甫主幹となる。 | 社史 | |
7月8日 | 週三回(火、木、土)発行となる。日報社委託をやめて付近の製紙分社に印刷を委託、紙幅をやや大きくし一ページ五段、一行二十二字詰め、一段四十行となる。独立した「社説」欄、「官令公報」「深川在米」欄を新設、社会記事、外電ニュースも時折掲載する。定価を改定し三カ月一円、半年一円八十八銭(一部売りは据え置き)。 | 社史 | |
7月23日 | 京城事変(壬午の変)発生、日本公使館襲撃される。 | 日本史 | |
7月26日 | 共同運輸設立免許される。 | 日本史 | |
8月17日 | 広告料金設定、二十二字詰め一行四銭として十一行以上、六回以上は行数、回数に応じて割り引き制とする。 | 社史 | |
8月26日 | 会社の決算広告初めて登場。 | 社史 | |
10月1日 | 紡績連合会設立される。 | 日本史 | |
10月1日 | 日銀公定歩合の形式を公債低当貸し、金銀貨低当貸し、割り引きの三種とし割り引き歩合を二銭八厘と定める。 | 日本史 | |
10月7日 | 日銀の割り引き歩合を毎日掲載。 | 社史 | |
10月10日 | 日本銀行開業。 | 日本史 | |
11月7日 | 毎月一回雑誌「商況海事誌」刊行を社告、一部十銭。 | 社史 | |
12月11日 | 為替手形 約束手形条例制定。 | 日本史 | |
12月16日 | 郵便条例制定。 | 日本史 | |
12月22日 | 軍備拡張の詔勅下る。 | 日本史 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 初刊四ページ。 | 社史 | |
2月15日 | 東京電灯設立(十九年七月五日開業)。 | 日本史 | |
3月3日 | 日銀に関することは大小となく掲載する旨を社告。 | 社史 | |
5月1日 | 新聞紙条例改正、再び日報社に印刷を委託、清楷活字に改まり一ページ四段、一行二十二字詰め、一段四十五行となる。 | 社史 | |
5月5日 | 国立銀行条例を改正、国立銀行の紙幣発行の特権を廃止し紙幣の消却を命令。 | 日本史 |