※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 毎月曜日紙上に特別読み物として経済に関する記事統計を掲載 | ||
8月1日 | 広告料金改定、1行1円10銭に引き上げ、雑報欄内2円、商況欄内2円50銭、場所指定1行20銭増 | ||
10月1日 | ワシントン会議報道のため新関庄蔵、石田武太郎両記者、客員小松緑の3名を特派 | ||
11月1日 | 記事はすべて口語体とする | ||
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月6日 | 平和記念東京博覧会記念号(4ページ)特集 | ||
3月10日 | 東京博覧会開会、本社特設館を設け臨時支局を置く | ||
4月7日 | ジェノバ会議報道のためロンドン特派員阪田国三郎、政治部箸本太吉記者を特派 | ||
9月6日 | 名古屋支局を同市西区上名古屋町内江20に開設 | ||
11月15日 | 従来の8ページを10ページに増し紙面を刷新して政治、社会記事も豊富にする。また「中外日記」欄を「中外春秋」に、「加減乗除」欄を「黒水晶」に改め「財界大観」「会社内容」「店頭経済」欄を新設、店頭経済欄中に「通俗経済問答」欄をつくる。新刊書の紹介と批評を毎日掲載 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 「消費経済家庭ノート」(4ページ)を特別付録として毎月2回添付 | ||
4月1日 | 初めて専門学校以上の卒業者を試験のうえ記者に採用する | ||
7月1日 | 写真部を新設 | ||
9月1日 | 関東大震災、九分通り竣工した本社新築社屋外郭を残して全焼、横浜支局も焼失 | ||
9月3日 | 丸ノ内帝国農会内に仮事務所を設けガリ版で号外を発行 | ||
9月4日 | 市ヶ谷秀英舎工場で号外を印刷発行。広告部長若山武彦、活字を求めるため東北地方へ出発。郡山で求めた活字をトラックで13日東京に輸送 | ||
9月11日 | 2ページの新聞を秀英舎工場で印刷発行。購読料を臨時改定し1ヵ月30銭、1部売り2銭とする | ||
9月12日 | 輪転機の応急修理成り21日付けから本社工場で印刷発行 | ||
9月15日 | 本紙4ページとなる。購読料を1ヵ月40銭、1部売り3銭とする | ||
10月6日 | 本紙8ページに復旧、購読料を1ヵ月85銭に改定 | ||
10月29日 | 7.5ポイントの新活字使用、常用制限漢字使用を実施 |