※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
9月13日 | 大本営所在地広島に記者を特派、馬関、門司、呉、佐世保、長崎等の通信員を統率して記事を編集させる | ||
9月23日 | 第2軍従軍記者を派遣 | ||
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 三田村玄竜(鳶魚)を第1師団司令部付き従軍記者として戦地に派遣 | ||
3月31日 | 第4回内国勧業博の実況視察のため記者を京都に特派 | ||
4月17日 | 占領地および朝鮮の商業視察のため記者を特派 | ||
8月12日 | 日本橋区北島町1-36(現在の日本橋茅場町)に新築の本社および工場落成して移転、13日から新工場で印刷発行 | ||
8月25日 | 仏国に注文したマリノニ輪転機1台据え付けを終わり使用開始。同時に紙面を刷新、従来の本紙半切4ページの付録を廃止して商況物価を本紙に繰り入れ2ページに収容、8ページ建てになる。購読料は1部売り1銭5厘に | ||
11月15日 | 「俳壇」を新設 | ||
12月1日 | 木曽、長良の2大鉄橋ならびに伊勢大廟、名古屋城等の銅版写真掲載の別刷付録を添付 | ||
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊16ページ | ||
1月16日 | 「俳壇」を「詞壇」と改め和歌、俳句を載せる | ||
3月9日 | 露清秘密条約の全文を号外で発行 | ||
10月30日 | 日清通商航海条約全文を付録として添付 | ||
12月2日 | 詞壇の和歌を読者からも募集 | ||
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 「経済及び財政統計表」を付録として添付、以後昭和11年まで新年付録として読者に無代配布 | ||
2月25日 | 「漫言」欄を新設 | ||
7月1日 | 東京地方裁判所および八王子区裁判所の破産事件に関する公告および商業登記公告の掲載紙として指定される | ||
9月13日 | 匿名組合商況社を改組し資本金5万円の合資会社商況社を設立、社主木村清四郎退き斎藤修一郎新たに業務担当社員(社長)に就任 | ||
9月26日 | 「漫言」欄に落語を初めて掲載 | ||
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊20ページ |