(株)日本経済新聞社『日本経済新聞社110年史』(1986.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
12月10日 主幹野崎広太、杜長兼主幹に就任
12月21日 投書欄「経済時言」を設ける
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 初刊22ページ
6月16日 大阪市東区平野町中橋筋角に大阪出張員詰所開設
6月20日 間接に入手していたルーター(ロイター)電報を同社と特約を結び直接入手する
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月3日 「貨物集散調」欄をつくり東京市の貨物集散状況を報道
5月16日 「英文商況」欄を新設して外人との商取引の便宜をはかる。37年11月10日廃止
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 東京区裁判所管内の登記公告本紙だけに掲載を指定され、その後37年まで4年間は本紙の独占となる。講談を連載
5月15日 大相撲5月場所はじまる。本場所から相撲記事を特に大きく扱う
10月1日 「中外調査部」欄をつくり経済関係法規の紹介、解説をする
12月24日 「中外倶楽部」欄を設け劇評、相撲、趣味、娯楽記事、随筆等を収録
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
5月1日 蚕糸記事を充実する
9月16日 本社出資者今村清之助死去
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
1月14日 「中外日記」欄をつくり時事評論を掲載
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 紙面を刷新、1行20字詰め、1ページ6段とし市況欄を19字詰め8段とする
2月8日 日露関係風雲急を伝え、この日から連日号外発行
4月13日 米国セントルイスの世界大博覧会に記者を特派、その第1号を掲載
4月19日 「日露交戦国際公法と商事」刊行、260ページ
6月8日 合資会社商況社解散、主幹野崎広大の個人経営となる。社名は「商況社」を使用
11月11日 第1次経済財政統計表、日露役戦時財政、中外調査便覧の3部を合本出版
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