※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月6日 | 「満州事情、付蒙古、青海、伊犁、西蔵」刊行 | ||
12月31日 | 大阪出張員詰所を北区堂島浜通1-129に移転し大阪出張所と改称 | ||
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月2日 | 「ここかしこ」欄を設け社会記事を収録、見出しにふりがなをつける | ||
4月13日 | 「川柳」欄を設け時折載せる | ||
4月25日 | 小説に挿し絵を初めて掲載 | ||
5月26日 | 「中外俳壇」を設けて俳句を復活、選者西山花葉 | ||
8月10日 | 本紙に連載した「海国史談」(足立栗園)刊行 | ||
8月29日 | 樺太の炭業視察に記者を特派、第1信を掲載 | ||
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 将棋欄をっくる | ||
2月21日 | 最初の2ページ見開き広告を掲載 | ||
3月23日 | 茶会記事初登場 | ||
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・創立委員長(後に取締役会長)。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月25日 | 「中外叢談」欄をっくる | ||
5月3日 | 中絶していた中外俳壇を復活、内藤鳴雪選者となる | ||
6月19日 | 社会面に投書欄を設ける | ||
7月1日 | 俳句を懸賞募集、これを第1回として大正4年4月まで続く | ||
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸実業家一行招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月2日 | 従来の1行5号活字20字詰めを17字詰め、1ページ7段に改め、商況欄は6ポイント19字詰め8段とする | ||
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | 社会欄のカットに「社会」の2字を挿入 | ||
1月13日 | 大相撲春場所始まる。本場所から星取表を掲載 | ||
2月19日 | 事件の速報写真初めて紙上に登場 | ||
3月14日 | 商況社の商号を中外商業新報社と変更 |