※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
3月17日 | 紙面を拡大刷新8ページ建て、従来の1ページ7段(1段56行)を8段(60行)、商況欄の8段を8段に改め、日曜祭日の翌日休刊制を廃して年中無休刊制(日曜祭日の翌日は4ページ)を実施、購読料も1部売り1銭5厘を2銭、1ヵ月38銭とする。マリノニ式輪転機を増やして2台となる | ||
4月2日 | 「商事応答」欄を新設 | ||
7月27日 | タブロイド判4ページに諸商品気配を掲載し付録として隔日(火、木、土)に添付することとなる | ||
7月31日 | 大火で大阪出張所類焼、東区横堀1-15に仮出張所を置く | ||
8月27日 | 囲碁欄を新設。詰将棋新題を出して読者から解答を懸賞募集 | ||
9月21日 | 広告「よろづ案内」欄を新設 | ||
10月1日 | 「中外詩壇」欄を新設、「中外歌壇」欄を設け常磐会の選歌を祓せる | ||
12月29日 | 「商事応答」欄を「商事民事法律顧問」欄に拡張 | ||
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月8日 | 「医事顧問」欄を新設、解答者及能健一医学士 | ||
6月20日 | 長江一帯視察のため記者特派、その第1信「南京博覧会記」を掲載 | ||
8月30日 | 合邦記念朝鮮号(4ページ)特集 | ||
9月11日 | 中外週間画報を毎月曜日付録として時事写真を掲載 | ||
9月21日 | 本社と株式市場間に同文電報器(チェッカー)開通、株式市況の速報に威力を加える | ||
11月21日 | 従来隔日に発行していた商況付録は廃止し本紙に載せる、商況欄を10段(1段増)とする | ||
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙し瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月30日 | 従来の1行6号活字17字詰め、1ページ10段の商況欄を16字詰め11段とする | ||
6月18日 | 大阪出張所、北区堂島中町1-25に移転 | ||
8月11日 | 株式会社に改組、資本金10万円(1株100円)全額払い込み、取締役社長に野崎広太就任 | ||
10月20日 | 中国に革命動乱発生で、北京、天津、大連、上海、鎮江、九江、漢口、長沙、宜昌、杭州、広東、南京に特派通信員を置く準備を完了した旨を社告する | ||
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。帰一協会成立。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月15日 | 「商機」欄を復活し毎月曜日掲載 | ||
1月24日 | 第1回定時株主総会開催 |