※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月28日 | 飢寒地北海道へ記者を特派 | ||
3月20日 | 大正博覧会で記念号(6ページ)を特集 | ||
4月4日 | 紙面刷新、1段を5号活字16字詰め、1ページ9段とする | ||
5月1日 | 「活動見物」欄を新設 | ||
7月24日 | 第6回定時株主総会 | ||
9月19日 | 8月対独宣戦布告に伴い青島攻略戦に従軍記者を山東へ派遣 | ||
12月9日 | 戦後の青島視察に記者を特派 | ||
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊24ページ | ||
1月24日 | 第7回定時株主総会、簗田〓[金+久]次郎、専務取締役となる | ||
5月20日 | 南洋新占領地視察に記者を特派 | ||
7月1日 | 臨時株主総会、野崎広太社長辞任、添田寿一取締役が社長に就任 | ||
7月22日 | 民業圧迫の実例を読者から募集 | ||
7月24日 | 第8回定時株主総会、岩本伝取締役辞任、村上幸平が取締役就任 | ||
9月4日 | 添田寿一社長辞任、簗田〓[金+久]次郎専務が社長代行 | ||
11月9日 | 紙面拡張・刷新により新活字を使用、1行17字詰め、1段69行とし、1ページで約1段増、8ページ建ての第1面を広告に充てる。一時中断していた「中外日記」を復活 | ||
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊16ページ | ||
1月24日 | 第9回定時株主総会 | ||
4月8日 | 台湾の産業視察に記者を特派 | ||
4月10日 | 台湾号特集(5ページ) | ||
5月24日 | 北海道、樺太の産業視察に記者特派 |