※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月29日 | 樺太の石炭業視察に記者を特派 | ||
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 将棋欄を設ける | ||
2月21日 | 初めて2ページ見開き広告を掲載 | ||
3月23日 | 茶会記事初登場 | ||
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊28ページ | ||
1月25日 | 「中外叢談」欄を設ける | ||
5月3日 | 中断していた「中外俳壇」を復活 | ||
6月19日 | 社会面に投書欄を設ける | ||
6月 | 読者から俳句を懸賞募集(大正4年4月まで) | ||
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月2日 | 紙面刷新、1ページ7段とし、1行20字詰めを17字詰めとする。商況欄は6ポイント活字で1行19字詰め8段とする | ||
9月10日 | 広告料金改定(1行17字詰め50銭に引き上げ) | ||
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 初刊36ページ | ||
1月10日 | 社会欄のカットに「社会」の2字を入れる | ||
1月13日 | 大相撲春場所始まり、紙面に星取表、取組の挿絵も入れる | ||
2月13日 | 社会面に「浮世物語」欄を設け、小記事を載せる | ||
2月19日 | 社会事件の速報写真を初めて掲載 | ||
3月14日 | 商況社の商号を中外商業新報社と変更 | ||
3月17日 | 紙面刷新、8ページ建てとし1ページを8段、1段を60行、商況欄は9段とする。日曜祭日の翌日休刊を廃し年中無休刊(日曜祭日の翌日は4ページ)を実施、定価は1部売り2銭、1ヵ月38銭とする。マリノニ輪転機を購入し2台とする | ||
4月11日 | 「商事応答」欄を設ける | ||
7月27日 | 諸商品気配を掲載したタブロイド4ページ付録を隔日に添付 |