(株)日本経済新聞社『日本経済新聞社130年史』(2006.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
8月9日 紙幅拡張、1段24字詰め51行とする。気象通報を掲載
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 社説欄の柱を「中外物価新報」と改める
3月12日 広告料金改定、1行5銭に引き上げ
4月1日 日刊となる(日曜、祭日の翌日休刊)、1段25字詰め50行として収容字数をふやす。大阪堂島に販売店を新設。定価を改定、1部売りを1銭5厘に引き下げ、月決め35銭は据え置き
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月15日 東京銀行集会所日歩の掲載を始める
5月10日 連絡の便宜から商況社を尾張町1‐1の日報社構内に移転。河野呈甫辞任し、木村清四郎が社業を主宰する
10月10日 紙面刷新、1行25字詰めを23字詰めとし、1ページ5段に改める。重要社会記事も掲載、「問答」「寄書」「流行」の各コラムを設ける
11月10日 出稿締め切り後の重要記事を欄外に収録
明治20年(1887) - 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 渋沢関係略年譜
2月2日 記事がふえたため東京株式取引所、米商会所などの相場の動きを毎号付録として添付
明治21年(1888) - 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 渋沢関係略年譜
1月4日 初刊8ページ、「明治二十年度農商工業略誌」(4ページ)を付録として添付、新年特集ものの始まり
5月23日 競馬記事を初掲載
8月21日 官公署、銀行、会社の事務渋滞、不親切で事業上迷惑を被った実例を読者から募集
明治22年(1889) - 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 渋沢関係略年譜
1月20日 三代町に新築中の社屋および印刷工場が完成し移転
1月22日 明朝活字を用い各ページ5段、1行22字詰め、ルビ付52行、ルビなし67行となる
1月27日 「中外商業新報」と改題、紙幅を拡大して毎日、本紙半切大、2つ折り4ページの付録を添付、京浜の商況物価、海外商況などの報道を拡充するほか政治、社交、技芸などのことも掲載。広告料金を改定(1行22字詰め8銭)。横浜出張所を同市相生町5‐18に開設
2月1日 「世界商家列伝」を挿絵入りで連載
5月12日 回向院大相撲の記事を初掲載
5月17日 漫画も初登場
8月9日 初の小説「夢のくりごと」連載
10月1日 本格的な経済読み物「米相場考」登場
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