日本電報通信社『電通社史』(1938.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
7月1日 日本電報通信社の前身日本広告株式会社及電報通信社創立資本金十万円
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 露国に対し宣戦布告
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
5月30日 日本海大海戦我海軍大勝を博す
8月8日 我社創立四周年記念祝典を上野にて挙行
8月8日 新聞総覧の前々身「成功の恩師」発行電通創立四周年記念出版なり
9月10日 我社資本金を六万円に減資
9月 日露講和談判ポーツマス条約の結果を憤慨し帝都に大騒擾勃発所謂日比谷焼討事件、幾多の名流羅織さる
明治39年(1906) - 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 渋沢関係略年譜
1月7日 西園寺内閣成立
1月 電通名古屋支局開設
4月 電通大阪支局開始
10月11日 日本電報通信社創立資本金二十万円
12月 日本電報通信社と日本広告株式会社を合併し資本金二十六万円の日本電報通信社設立
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
4月16日 韓国京城明治町一丁目に電通支局開設
5月11日 米国合同通信社(UP)と提携国際電報の交換を締結す日本人の手に依る海外電報交換は之を以て嚆矢とす
- 電通長野支局設立
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
7月14日 桂内閣成立
12月3日 電通創立七周年記念祝典を有楽町有楽座にて挙行、小松逓信省通信局長当時の予約電話予約電報中日本電報通信社の使用にかかるもの全体の三分の一に当る事を指摘し電通の発展の驚くべきを述べて祝辞とす
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
2月 電通金沢支局設置
5月 電通日本橋支局開設
7月5日 新聞総覧の前身「新聞名鑑」発行此年全国主要地に支局設置
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