日本電報通信社『電通社史』(1938.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
7月 内国枢要の地五十四個所に電通常設通信員設置
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
5月7日 英国エドワード七世陛下崩御
8月29日 韓国併合詔書出づ
11月3日 電通前橋支局開設其後閉鎖す
12月30日 新聞総覧第三版発行
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
4月8日 名古屋支局五周年記念として「日本電報」記念号発行同時に名古屋商品陳列館にて記念祝賀会を開き朝野の名士五百有余名を招待す
8月23日 京橋区加賀町十八番地の敷地にて電通社屋新築地鎮祭執行
8月30日 西園寺内閣成立
12月30日 新聞総覧第四版発行
- 電通取締役浜訓良氏大阪支局長に就任
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
2月28日 東京朝日新聞主筆たりし池辺三山氏逝去
4月15日 前年京橋区加賀町十八番地に社屋建築起工式挙行の電通新社屋新築落成につきその祝賀を兼ね帝国ホテルにて電通創立十周年記念祝典を挙行
7月30日 明治天皇崩御遊ばさる
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
9月13日 明治天皇大葬儀を行はせたまふ
11月30日 電通福島支局を廃止す
12月21日 西園寺内閣総辞職桂太郎公営中内大臣より出でて内閣を組織す
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 反桂内閣の声高く起り帝都の大騒乱を惹起し死傷者数十名を出す、桂内閣遂に崩壊
2月20日 山本内閣
4月8日 此日は釋尊降誕の日、日本新聞協会創立総会を帝国ホテルに開く
6月30日 新聞総覧第五版発行
PAGE TOP