日本電報通信社『電通社史』(1938.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
11月10日 聖上陛下御即位の大礼を京都皇居にて行はせたまふ
- 電通大阪支局長に能島理事就任
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月11日 鹿児島新聞社社長柚木慶二氏逝去勲三等を賜ふ
4月1日 四月一、二両日 第四回日本新聞協会大会を上野精養軒にて開催
4月15日 電通名古屋支局十周年祝賀会を愛知県立商品陳列館にて挙行
8月30日 新聞総覧八版発行
10月9日 寺内内閣成立
10月23日 やまと新聞前社長松下軍治氏逝去
11月25日 電通創立十五周年記念祝賀会を上野精養軒にて挙行、その記念事業として上野美術協会に新聞展覧会、全国新聞社十五年勤続者表彰会、各地名産品評会を開く
12月9日 夏目漱石氏逝去
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
1月25日 第三十八回帝国議会解散
2月4日 米独国交断絶
2月10日 福岡日日新聞副社長浜地禎造氏逝去
3月15日 露国に革命勃発し帝政履滅す、右電報米国UPのみより伝へられ他の通信社に入電するものなく又各新聞社の特電にも之を報するものなく全く電通の独占的報道なりし、之よりしてUPの外電漸くその真価を認めらる
4月1日 電通岡山支局開設
4月7日 米国下院戦時状態可決、UPの威力此頃より漸次加はり二月四日の米独国交断絶電報に引続き露国革命のニユース及今回の米国下院米独戦時状態可決電報共その速報に於て他社の追随を許さざるものがあつた
4月27日 電通福島支局開設
5月20日 函館毎日新聞社社長吉岡憲氏逝去
6月25日 六月二十五、六、七三日間 第五回日本新聞協会大会を帝国ホテルに開会
7月5日 東京日日新聞前主幹羽田浪之紹氏逝去
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