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(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
| 年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
|---|---|---|---|
| 明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 9月 | △露国の満洲併呑に対して日本政府より強硬に抗議、両国の国交険悪状態に陥る | ||
| 10月1日 | △嘉悦孝子女史、日本女子商業学校を創立、和田垣謙三博士をを校長として、一日より開校、後の女子高等商業学校なり | ||
| 10月 | △全国の女子師範学校及校長名左の如し(師範女子部として男校に併置のものは此外)//東京女師(林吾一)△大阪女師(大村芳樹)△兵庫女師(藤堂忠次郎)△新潟女師(川面松衛)△群馬女師(山高幾之丞)△山形女師(津田元徳)△島根女師(永瀬伊一郎)△岡山女師(星菊太)△埼王女師(欠) | ||
| 10月 | △婦人共立育児会第七回総会 | ||
| 10月 | △東京府立第三高等女学校開校式 | ||
| 10月 | △露国、清国に対する満洲撤兵の約を履行せざるのみならず反つてチチハルの軍隊を南下せしむるより、憤慨の声我が朝野に盛なり | ||
| 11月 | △鉄道作業局、東京電灯会社女子事務員採用、諸会社の女子採用追々盛なり | ||
| 11月 | △新橋駅にて出札係に初めて女子を採用 | ||
| 11月 | △大日本婦人数育会総会、大隈伯邸にて | ||
| 11月 | △小説家尾崎紅葉山人永眠 | ||
| 12月12日 | △河原操子女史蒙古喀喇沁王府の教育顧問として招聘せられ十二日北京を出発(実は軍事上の秘密任務を帯びてなり) | ||
| 12月 | 帝国議会開会、貴族院は徳川家達公初めて議長に任せられ、衆議院は河野広中民議長に当選、然るに開院式に賜はりたる勅語奉答文中内閣弾劾の文句ありしを以て、衆議院は開会一日にして解散を命ぜらる | ||
| 12月 | △国文学者落合文氏永眠 | ||
| 明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
| 1月2日 | △前貴族院議長近衛篤麿公薨去(二日) | ||
| 1月17日 | △女子高等師範卒業生は今回茗渓会より分離して独立の団体桜蔭会を組織し十七日発会式を兼ねて安井女史等の送別会を行ふ | ||
| 1月23日 | △安井哲子女史シヤム国政府の招聘により、越智きよ子、中島富子二氏を伴ひ同国女子教育指導の為渡航(廿三日) | ||
| 1月 | △日露間の風雲益々急なり | ||
| 1月 | △小石川砲兵工廠、軍備多忙のため女工八百名募集 | ||
| 2月 | △社会主義者婦人講演会、神田教会に開かる弁士は、堺枯川、幸徳伝次郎、村井知至、西川光二郎氏 | ||
| 2月 | △六日露国との国交断絶、九日仁川沖海戦、十日宣戦詔勅降下、敵愾心全国に溢る |
