婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
9月 △幸田延子女史渡欧
9月 △鹿児島県立第二高等女学校四十三年四月開校認可
9月 △川面松衛氏奈良県女子師範学校長に任ぜらる
9月 △田名部彦一氏新潟県長岡女子師範学校長に任ぜらる
9月 △皇太子殿下岐阜県立大垣高等女学校に成らせらる
9月 △皇太子殿下石川県立高等女学校に成らせらる
9月 △皇太子殿下福井県立福井高等女学校に成らせらる
9月 △東京市私立奎文高等女学校廃校
9月 △西本願寺法主令妹大谷武子姫(二三)九条良致男(二六)と結婚(新夫人は後に歌人として有名)
9月 △女子教育家懇話会にて女訓十ケ条を可決す新聞紙之を「可からず十訓」と嘲る
9月 △福島県立会津高等女学校長今井退蔵氏逝去
10月26日 △伊藤博文公ハルピンに於て韓人安重根に狙撃せられ即日薨去(二十六日)特に国葬を賜ふ
10月 △東京府私立和洋裁縫女学校中等教員接定無試験特典認可
10月 △東京府女子師範学校長林吾一氏依頼本官を免ぜらる
10月 △兵庫県立豊岡中学校にて山田千鶴子女史(四〇)を寮母とす、中学校寄宿舎に女子採用の初なり
10月 △文展入選の榊原蕉園女史有名となる(後に池田輝方画伯と結婚)
10月 △鈴木光愛氏東京府女子師範学校長に任ぜらる
10月 △島根県今市高女校長永瀬伊一郎氏宮城県師範学校長に任ぜらる
10月 △小池民次氏千葉県立高等女学校長に任ぜらる
10月 △川村良四郎氏千葉県立東金高等女学校長に任ぜらる
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