婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
11月 △文部省の調査によれば一般高女校にては次の雑誌の閲読を禁じ居れりと△文芸倶楽部△新小説△婦人画報△女子文壇△東京△東京パック△道楽世界
12月 △大阪府河北高等女学校四十三年四月より開校認可
12月 △広島県私立山中高等女学校主山中正雄同校長松岡みち子両氏に藍綬褒章を賜はる
12月 △子爵谷干城夫人玖満子刀自永眠
- ◎本年より高女、女師の開校認可及ぴ校長の任免全部記入
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月27日 △御歌所寄人中村秋香翁二十七日永眠
1月 △長野県女子師範学校上田町に移転決定
1月 △埼玉県立熊谷高等女学校四十四年四月より開校認可
1月 △埼玉県立川越高等女学校同上[四十四年四月より開校認可]
1月 △愛知県知多郡立高等女学校本年四月より開校認可
1月 △内田慶三氏広島県三原女子師範学校長に任ぜらる
2月7日 △七日女子教育家懇談会を帝国教育会に開く
2月22日 △二十二日東京女子高等師範学校長高嶺秀夫氏逝去
2月23日 △二十三日馬杉青琴女史逝去
2月 △聖心女子学院高等女学校四月より開校認可
2月 △秋田県師範学校長兼女子師範学校長小山忠雄氏文部省より教育功績者として選奨せらる
2月 △市立名古屋高等女学校長兼教諭佐藤雲詔氏同上[文部省より教育功績者として選奨せらる]
2月 △山口県立徳基高等女学校長清水猪六氏同上[文部省より教育功績者として選奨せらる]
2月 △長崎県立高等女学校長兼教諭溝口鹿次郎氏同上[文部省より教育功績者として選奨せらる]
2月 △佐賀県立佐賀高等女学校長横尾義勇氏同上[文部省より教育功績者として選奨せらる]
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