※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | △権典侍柳原愛子刀自は典侍に、権掌侍小池道子刀自は掌侍に任ぜらる | ||
1月 | △幼年者飲酒禁止法案、代議士根本正氏より衆議院に提出せらる(可決) | ||
2月 | △戸板せき子氏芝公園地に私立裁縫学校を開く | ||
2月 | △日英同盟条約発表さる | ||
2月 | △市町村名誉職には女子にも当選の権を与へよとの建議案、代議士高木正年氏より衆議院に提出せらる(委員会握りつぶし) | ||
2月 | △二月末調査の全国公私立高等女学校数七十九校なり(各校名婦女新聞第九五号)但未開校にても設置認可のおりたる者を全部含む。此内私立は次の七校のみ//(東京)女子大学附属高女△(静岡)静岡高女、駿東高女△(岡山)山陽高女△(広島)私立広島高女△(香川)私立香川県高女△(熊本)尚絅高女 | ||
3月 | △青森師範校長小林盈氏、四月より開校の東京府立第三高女校長に任ぜらる | ||
3月 | △東京郵便電信局にて現在採用せる女子雇員総数三十一名、日給は二十銭乃至二十八銭にて好評 | ||
3月 | △鉱毒問題益々やかまし | ||
3月 | △名古屋高女校に奇怪なる艶書事件あり、遂に検事の手を借りて尋問の結果処分を結了したるが、東京大阪の新聞紙盛に書き立てたれど校長甫守謹吾氏、個人の名誉に関すとて遂に真相を語らず | ||
3月 | △愛国婦人会大会、九段偕行社楼上にて | ||
3月 | △臨時教員養成所規程(省令)公布 | ||
4月 | △新設開校の高女校多し | ||
4月 | △京都高女校(後の府立第一)着袴を制服とす | ||
4月 | △大阪中ノ島高女(今の大手前)生徒服装心得を制定、其中左の如き項あり//着物(綿服)袴(綿織又は綿服に相当する毛織にて色はエビ茶)かんざし(用ふる時は記章入のもの)前髪どめ、束髪ピン(共に飾なきもの)櫛(禁ず)指環(禁ず)化粧(禁ず)結髪(新蝶々、桃われ、ちごわげ、束髪、垂髪)、校外履物(畳なし利久下駄、飾なき靴)蝙蝠傘(絹張を禁ず) | ||
4月 | △三輪田女学校開校(明治三十八年より高女校となる) | ||
4月 | △本郷の女子美術学校創立者の一人谷口鉄太郎氏分離して女子東京美術学校を神田仲猿楽町に設く | ||
4月 | △大日本婦人教育会春季総会、鍋島侯邸にて | ||
4月 | △文部省検定済の高女校国語教科書(落合直文編)に石川雅望著「都の手ぶり」の中の四ツ目屋の店頭を写したる一文あり、問題となる、四ツ目屋事件是なり。渡辺図書課長以下進退伺 | ||
5月 | △文部省召集の第二回高女校長諮問会 |