婦女新聞社『婦人界三十五年』(1935.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
5月 △京都府高女校創立三十年の記念式
5月 △成女学校長吉村寅太郎氏第四高等学校長に任命され、後事を宮田修、嘉悦孝、水谷直孝氏に托して赴任
5月 △皇后陛下例年の通り宮中にて御養蚕、東宮妃殿下も御所に同様御養蚕
5月 △勝田孫弥氏、角筈女学校を引受けて精華女学校と改称(後の精華高女校)
6月 △板垣伯夫人等の発起にて女囚携帯乳児保育会設立せらる
6月 △清国女子留学生八名来朝、実践女学校に入る
6月 △第二皇孫淳宮雍仁親王殿下御降誕(後に秩父宮と御改称)
6月 △巌本善治氏明治女学校内に貧しき女学生の為、女子実学園を設く
7月 △西郷従道侯薨去
8月 △日本弘道会長西村茂樹博士永眠
8月 △現在東京にて発行せらるゝ婦人雑誌左の如し(発行所定価等、婦女新聞第一二一号)//△日本婦人△女鑑△女子の友△女学講義△をんな△女学世界△家庭△大日本婦人教育会雑誌△令徳△裏錦△婦人雑誌△婦人新報△婦人衛生雑誌△婦人と子供△婦人界△婦女新聞△愛国婦人△産婆学雑誌△少女界
9月 △東京専門学校、早稲田大学と改称
9月 △河原操子女史、上海務本女学堂に聘せられて出発
9月 △正岡子規氏永眠
9月 △万国婦人矯風会本部より派遣せられたる米国婦人ミス・スマート来朝
10月 △婦女新聞紙上、宮崎旭濤氏の恋愛論にて賑ふ
10月 △皇后陛下女子高等師範学校に行啓
10月 △ミス・ヒユース帰英の途に就く
11月 △四恩瓜生会総会、飛鳥山渋沢男爵別邸にて
11月 △婦人矯風会大会、神田青年会館にて
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